この世界には夜というものがない。
太陽はいつも地平線すれすれのところをゆっくりと動いていて、いつも暖かい。
だから、いつでもどこででも、好きな時に好きな場所で眠ればいい。
俺はいつも この国の中央にある花園の端にある大きな木の下――瞬は楡の木に似ていると言っていた――で寝ていた。
もちろん、瞬も一緒だ。
瞬には、自分の気に入りの場所を見付けてそこで寝ればいいんだと言ったんだが、瞬は俺と一緒のところがいいと言った。

人間の世界には人間がうようよいるらしい。
瞬にはつらいところだったんだろうが、同じ人間のいるところでの生活に慣れている瞬には、一人でいることが心細いらしかった。
安全で平和な無憂の苑といっても、ここは瞬には見知らぬ土地でもあるわけだし、そういう場所に一人でいることは不安でもあったんだろう。
だから、瞬がこの苑に来てから、俺と瞬はいつも同じ場所で眠っていた。

その日――瞬にキスを教えてもらった日、俺はどういうわけかいつまで経っても寝つけなかった。
瞬の唇と舌の感触を思い出すと、変な気分になって、妙に息苦しい。
瞬が時折洩らす溜め息が気になって、瞬はちゃんと生きているのかということが やたらと気になって、俺は何度もそれを確かめようとした。
瞬の手に触れれば、それは温かかったから、瞬が生きていることは確かなことだったのに、俺はそれくらいのことでは安心し切ってしまうことができなかったんだ。

「瞬……瞬」
瞬のあの綺麗な瞳を見なければ、俺は心を安んじることができない――そう思って、俺は結局、瞬の肩をそっと揺り動かすことになった。
「なに?」
瞬は――瞬も――もしかしたら俺と同じで眠れずにいたのかもしれない。
俺は囁くように小さな声で瞬を呼んだだけだったのに、瞬はすぐにその瞼を開けてくれた。

「おまえといると落ち着かないんだ。これじゃ いつまで経っても眠れそうにないから――俺は他で寝ていいか」
俺は正直に瞬に告げた。
それはただの事実で、事実を告げただけの俺の言葉が瞬を傷付けることになるなんて思いもしなかった。

「落ち着かないって……。氷河が眠っているうちに、僕が氷河やこの世界によくないことをすると思うの?」
身体を起こした瞬が悲しそうにそんなことを言うから、俺はひどく驚いた。
それじゃあ まるで俺が瞬を信じていないみたいじゃないか。

「そうじゃない……!」
瞬の誤解を解くために、俺は慌てて 自分がどんなふうに落ち着かないのかを、瞬に告げた。
身体が熱くなって、瞬が生きていることを瞬に触れて確かめたくなること。
そして、そう、瞬ともう一度キスをしてみたいと思うこと。
俺が俺の落ち着かなさがどんなものなのかを知らせると、瞬の瞳から悲しそうな色は消えた。
代わりに瞬の瞳には、何か困惑したような色が浮かびあがってきた。

瞬は随分長い間、何事かを考え込んでいるふうだったが、やがて、
「氷河が落ち着く方法を教えてあげる」
と、なぜだか頬を真っ赤に染めて言った。
俺は、いい方法があるなら教えてほしいと瞬に頼んだんだ。
自分が眠れないだけならまだしも、そのせいで瞬の眠りまでを妨げるわけにはいかないと思ったから。

そんな俺の顔をじっと見詰めていた瞬が、最後に小さく頷く。
そして瞬は、頬だけじゃなく耳たぶまで真っ赤に染めて――まるで上気した自分の頬を隠すように俯き、俺の前で自分が身につけていたものを脱ぎ始めた。
たった一枚の布だが、それをゆっくりと肩から外して、白い胸を露わにする。
初めて見た時にも思ったが、瞬の身体は白い花の花びらの色をしている。
日に焼けた赤銅色の俺の肌とは全然違う。

俺は花が好きで、それがこの世界の美の最たるものと思っていたから、瞬に似ていない自分がひどく醜いものに思えて仕方がなかった。
瞬が俺と違う姿をしていることに、俺は息苦しささえ覚えた。
瞬はそんな俺が身につけているものも脱がそうとし始めたから、なおさら俺の息苦しさが増す。
俺の腕や胸に触れる瞬の手の感触は、俺をますます落ち着かない気分にした。

「瞬。落ち着くどころか、ますます――」
俺は、瞬が何か勘違いをしていて、俺が求めていることとは逆のことをしようとしているんじゃないかと思ったんだ。
瞬が、俺の声を遮る。
そして、瞬は、
「ここ……」
瞬は、その白い指で俺の身体の中心に触れてきた。
俺の身体中の血が逆流する。

「ここでしょう。氷河がいちばん落ち着かないところ」
「瞬……」
瞬の言う通りだったから、俺はそう答えようとしたんだ。
だが、俺の声はかすれ上擦っていて――俺は自分が少しも“落ち着いて”いないことを認めないわけにはいかなかった。

「瞬、本当にこれで俺は落ち着いて眠ることができるようになるのか」
「あ……」
教えてやると言ったのは瞬だったのに、俺に尋ねられた瞬は困惑した様子で眉根を寄せた。
「あ……僕、どうすればいいの……」
そして、切なそうに呟く。

「瞬……っ!」
俺は“落ち着かない”どころじゃなくなっていた。
白い花の花びらのような瞬の肌、俺に触れている瞬の細い指、心許なげに揺れる瞬の瞳――を五感で感じていることが苦しい。
俺は、身体の中で何かが破裂しかけているような感覚に囚われ始めていた。
飢えて渇いた獣のように瞬に襲いかかり、その血肉を食いちぎりたい衝動が、俺の手と胸中に湧き起こり、俺はその衝動を抑え込むために低い呻き声をあげた。

その声を聞いた瞬が唇を噛みしめる。
瞬はそれで何かを振っ切ったように――まるで人に踏み散らされることを覚悟した人間界の花のような目をして、俺の顔を見詰めた。
上体だけ起こしていた俺の首に細く白い腕を絡め、俺の身体に跨るような体勢で、瞬は俺にキスをしてきた。
その唇が震えている。
「氷河……」
苦しそうに俺の顔を見詰める瞬の瞳は、この無憂の苑で いったい何がそんなに不安なのかと問い詰めたいほどに怯えきっていた。

「僕、恐い……」
「瞬……」
瞬はやはり何かを恐れているようだった。
ここには、瞬と俺と花しかないというのに。
瞬が何を恐れているのかは俺にはわからなかったが、瞬が何かに恐怖を感じていることは確かだ。
そして、ここには瞬と花の他には俺しかいないんだから、多分、俺のせいで。

「瞬。何か危険があることなら、いいんだ。俺は大丈夫だから」
俺はちっとも大丈夫じゃなかった。
だが、瞬を俺のせいで苦しめたり、危険な目に合わせたりすることはできないじゃないか。
俺がかすれた声でそう言うと、それまで何かに怯え恐れているばかりに見えていた瞬の瞳は、ふっと 元の優しい色を取り戻した。

「氷河。氷河は僕を気遣ったり優しくしたりする必要はないんだよ」
瞬は何を言っているのかと、俺は訝ったんだ。
俺が瞬に優しくする必要がないなんて、それはどういう意味だと俺が問い返そうとした時、瞬は、瞬に触れられたせいで硬く屹立していたものに再びその手を添えて、その上に瞬自身の上体を下ろした。

瞬の喉の奥からかすれた悲鳴が洩れてくる。
その悲鳴を飲み込むように唇を噛みしめて、瞬は、両の手で俺の肩を掴み――もがくように俺にしがみついて――小さく、だが鋭い声で叫んだ。
「僕の中に入って……奥まで……ああっ!」

瞬が俺を呑み込もうとしているのか、俺が瞬を刺し貫こうとしているのか――。
俺には、瞬のしていること――俺と瞬のしていること――が どういうことなのかがわからなかった。
瞬は苦しそうに眉根を寄せ、俺の心身はますます落ち着・・・かなく・・・なってきているというのに、瞬に言われた通りにせずにはいられなくて、俺は自分の腰を前方に押し出した。
「ああああっ!」
瞬が全身をのけぞらせる。
瞬の中に入り込んでいたものが、きつく締めつけられ、その時から俺は我を失った。






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