そのあとのことはよく覚えていない。 瞬が苦しげに呻いているのに、瞬のつらそうな声が聞こえているのに、俺はどうしても瞬から離れてやることができなかった。 少しでも深く瞬の中に沈み込んでいきたかった俺は、自分が望む通りのことをした。 それ以上先に進むことができないところに至ると、今度は別の刺激が欲しくなり、瞬の中で大人しくしているのがもどかしくなって――そして、俺は何をしたんだろう――? 俺は多分、瞬の身体を傷付けるようなことをした。 狭い瞬の中で瞬の肉や熱が俺に絡みついてきて、それは背筋に戦慄が走るように快美な刺激だったのに、俺の中にはその刺激から逃れたいという強い気持ちが生まれてきていた。 絡みついてくる瞬を払いのけようとした俺は、逆に瞬に対して攻撃的になり――とにかく、俺は瞬の身体を傷付けるようなことをしたと思う。 おそらく瞬が俺のためにしようとしたことは、俺を瞬の中に閉じ込めて力を奪うことだったんだろう。 気の立ったリスを木のうろに閉じ込めて、狭いところで暴れるだけ暴れさせ、疲れ力尽きるのを待つようなこと。 実際俺はその通りになった。 瞬の中で もがき暴れ――随分長いこと もがき暴れ、やがて、俺はやっと力が尽きた――。 瞬は、俺を落ち着かせるためにかなり体力を使ったらしかった。 俺が瞬の中を散々掻きまわしたあとで、ようやく限界を超えたものを引き抜くと、溜め息のような弱々しい悲鳴をあげて、瞬はその場に崩れ落ちてしまった。 俺は、瞬が死んでしまったんじゃないかと思った。 「瞬っ、どうしたんだ。大丈夫かっ !? 」 慌てて俺が瞬の肩を掴んで揺さぶると、瞬はぼんやりと目を開け、力のない笑みを俺のために作ってくれた。 「ごめんなさい。だ……大丈夫。あの……氷河がちょっと荒々しかったから、びっくりしただけ。僕は大丈夫だよ。氷河は落ち着いた……?」 「あ……いや……」 嘘をつけないっていうことは、本当に不便だ。 瞬はこんなになるまで、俺を落ち着かせようとしてくれたのに。 「僕じゃ駄目だったの……」 瞬があんまり悲しそうな目をするんで、俺は困ってしまった。 だが、この苑で嘘をつくことは禁じられている。 嘘は、真実の心を殺し汚れを生む――そう彼女は言っていた。 この無憂の苑を人間の世界のように醜悪なものにしたくなかったら、この苑で嘘をつくことだけはしないでくれと。 俺はこれまで疑念を抱くことなく彼女の言葉に従ってきたが、相手のことを思う故の嘘というのも 人と人の間にはあるんじゃないかと、初めて――初めて、俺は彼女の定めた決まりの正否を疑った。 だが、ここは彼女の支配する世界。 彼女の意思に背くわけにはいかない。 「一度は落ち着いたと思ったんだ。本当だ。だが、またすぐに俺は――」 俺はすぐにまた 俺のせいでぐったりしてしまった瞬の白い肢体を、その視界に入れた途端に。 それは頼りなげで健気で、そして ひどくなまめかしかった。 「じゃあ、もう一度試してみる?」 また力ない笑みを浮かべて、瞬が俺に尋ねてくる。 「いいのか!」 弾んだ声で答えてから、俺は内心でそんな自分に舌打ちをした。 こんなに疲れ切っている様子の瞬に もう一度あんな無理をさせるなんてことができるわけがない。 「瞬は つらそうにしていた……」 沈んだ声で呟いた俺の胸に、瞬が細い腕を伸ばし、指で触れてくる。 「そんなことないよ。僕は氷河のためなら、何度でも――」 無理な微笑を浮かべている――そう思っていた瞬の瞳は、だが、いつのまにか生気を取り戻していた。 恥ずかしそうに頬を上気させ、僅かに瞼を伏せるようにして、瞬は俺に言った。 「あの……その代わり、僕の身体を横にして同じことをしてくれる? さっきみたいなやり方だと、僕、あの……恥ずかしいの……」 「?」 瞬はいったい何がそんなに恥ずかしいのか――。 瞬の羞恥の意味と理由が、俺には全くわからなかった。 それでも、瞬の望みに添うことはさほど難しいこととは思えなかったので、俺は即座に瞬に頷き返した。 俺を落ち着かせるためのやり方とその理屈はわかったから、俺は二度目以降はかなりうまくできたと思う。 瞬の上に覆いかぶさるようにしてやる方が、好きに動けて、俺も楽だ。 だが、俺が瞬の身体を激しく揺さぶるたびに、瞬は苦しそうに呻いたり、呼吸ができないような状態になったりしているようだったから、それが俺を不安にした。 瞬の肩を下草に押しつけて それをするのは、まるで俺が瞬の自由を奪って瞬を刺し殺そうとする蛮行のように、俺には思えた。 俺が瞬から離れるたび、瞬はその白い花びらの色をした胸を大きく上下させ、精も根も尽き果てたかのようにぐったりして、目を閉じてしまう。 俺は、自分が瞬の命を吸い取っているような気がしてならなかった。 「俺はおまえの中にいるのがすごく気持ちいいのに、おまえはつらいのか」 何度目かに瞬の中から俺を引き抜いた時、俺は心配になって瞬に尋ねた。 瞬が小さく首を横に振る。 「ううん、そんなことないよ」 「だが、声も息も苦しそうだ。目から水の雫が――」 「これは涙だよ」 「涙?」 そう、俺はそれが気になっていた。 瞬が瞬きをするたびに、その瞳から零れ落ちてくる透き通った水の粒。 それは俺がこの世界で初めて見るものだったから。 とても綺麗なものだったから、“よくないもの”だとは思えなかったんだが。 「目から涙が零れることを泣くっていうの。悲しい時にも つらい時にも涙は零れてくるし、人は嬉しくて泣くこともあるんだよ」 「瞬はなぜ泣いているんだ」 「氷河と一緒にいられるのが嬉しいから」 「そうなのか」 ここは嘘が禁じられている無憂の苑。 偽りの存在が許されない至福の楽園。 だがたとえ瞬のいる場所がこの苑でなく人間の世界だったとしても、瞬が俺に嘘をつくはずがない。 俺は瞬の言葉を信じ、そしてその言葉を嬉しいと感じた。 だというのに、瞬の目からは瞬のように涙は出てこなかった。 本当にとても嬉しかったんだが、俺の目からは瞬のように涙は出なかった。 嬉しければ誰でも泣けるというものでもないらしい。 瞬はきっと感受性が強いんだ。 そして繊細なんだろう。 だから俺には よくわからないことで恥ずかしがったりする。 瞬は花よりも可愛いと、俺は思った。 |