『天守物語』をベースとした氷瞬話。 「シェークスピア劇等の演出で見られるように、舞台(世界)を移動させてしまっても構いません。日本でなくてもいいです。そして、ハッピーエンドで締めくくっていただければと思います」 とのことでした。 カモンさん、リクエストどうもありがとうございます! さてさて、そういうわけで、泉鏡花、『天守物語』。 鏡花の『天守物語』は、愛と美だけが守られるべき唯一の法である魔の世界を描くことによって、人の世の不合理や不粋・醜さを浮き彫りにし、批判したお話……だと思うのですが、この解釈で合ってるのかな? 愛と美があれば、恋人同士は幸せになれる耽美な世界。 それこそが望ましい人の世のあり方、正しい人の感性のあり方――という物語(だと、私は解釈しています)。 んが、まあ、私が書くのは、どれだけ原作やアニメからかけ離れていても『聖闘士星矢』の世界です。 『聖闘士星矢』は人間の持つ愛の可能性を信じて戦う女神と聖闘士たちのお話ですから、現実世界の人間の愛や正義といった要素を否定するわけにはいきません。 そうなると、これがなかなか難しいのですね。正義と耽美を両立させることは。 そのせいかどうか、今回私が書かせていただいた話は、完全に『天守物語』を念頭に置いて書き始めた話であるにも関わらず、この話は何をベースにして書いた話かと人様に聞いてまわったとしても、『天守物語』と言い当てられる方は100人に1人くらいいらっしゃればいい方――な話になってしまいました。 敗因は色々ありますけども、まずもって、魔の世界の住人が人間界を意識しすぎているところが魔の世界っぽくない。 鏡花の描いた富姫は、人間の生き様に対してもっと超然としていたと思います。 人間とは価値観・感性が違っていた。 とはいえ、その富姫も元は人間で、人間世界の理不尽の犠牲者なのだということを考えますと、どうしても彼女の耽美には哀れが伴うわけでございます。 そこが、彼女の“人間離れした”美しさを ますます増しているというか何というか(ちょっと矛盾しているような気もしますが)。 ――と、あれこれ書き立ててみたところで、今回私が書かせていただいた話に耽美の要素が足りないことは厳然たる事実。 難しいです、耽美。 耽美、耽美。 耽美 苦いか、しょっぱいか。 そが上に熱き涙をしたたらせて耽美を書くは いずこのジャンルのならいぞや。 ――な話になってしまいました、結局。 本当に本当に申し訳ありません(『秋刀魚の唄』も切ない恋の詩ですけども)。 ところで、このお題をいただいた時、私が最初に悩んだことは、富姫様と図書様の、どちらを氷河にして、どちらを瞬にすべきかということでした。 つまり、どちらを魔の物にして、どちらを人間にするかということ。 本当に悩んだんです、私。すごく悩んだんです、私。 悩んで悩んで悩み抜いた結果が、結局これ。 私はいったい何のためにあんなに悩んだのか、これこそ愚悩というものです(そんな日本語はありません)。 でも、まあ、おそらく、きっと、これが人生というもの。 悩んで明答に至れなかったことを無駄と断じてしまったら、人間が生きて存在すること自体が無駄だということにもなりかねません(自分で書いていて言い訳っぽくてならない……)。 んーと。 タイトルの『妣 |