A Love Story

〜 万朶の桜さんに捧ぐ 〜







詩人・佐藤春夫が『殉情詩集』を発表したのは、大正10年(1921)のこと。
作家・谷崎潤一郎の妻に恋をした佐藤が その恋を恋人の夫に告白し、二人の作家が6年間に及ぶ絶交状態に入った、いわゆる小田原事件勃発の年だった。

世は大正デモクラシー。
日本初の爵位を持たない平民宰相 原敬が一青年により東京駅頭で暗殺され、高橋是清が首相就任。
普通選挙運動――特に、平塚雷鳥・市川房枝等による婦人参政権運動――が活発化した時代である。

文学界では、志賀直哉、武者小路実篤等の白樺派の人道主義が台頭、理想主義的・個人主義的な人間肯定の文学が盛んに制作された。
白樺派は、学習院出身の上流階級に属する作家たちで構成された一つの流れであるが、これとは対象的にプロレタリア文学の祖と言われる雑誌『種蒔く人』が創刊されたのも この年である。


氷河がいつもなら素通りする大学近くのカフェに足を踏み入れたのは、その店内に学友の姿を見い出したからだった。
寄り道など決してせず、ドイツの大哲学者カントのように規則正しく教室と下宿を往復するので有名な彼が、カフェのテーブルについているというのは、氷河がカフェに入ることなどより更に珍奇な事態。
いったい学友の身に何が起きたのかと、氷河は真相究明に乗り出さずにはいられなかったのだ。

帝大のカントと揶揄されている紫龍がそんなところに陣取っているのは、しかし、彼自身が望んだことではないようだった。
待ち人が来ないのか、小カントは退屈そうにテーブルの上の本を流し読みしている。
その本がまた、哲学書でも何でもない、実に意外な代物。
氷河はつい感嘆の声をあげてしまったのである。

「おまえに、こんな俗っぽい趣味があったとは驚きだ。佐藤春夫『殉情詩集』だと」
「氷河……」
面倒な奴に見付かってしまったという表情を、紫龍は隠そうともしなかった。
とりあえず、彼は友人の誤解を解こうとしたらしい。
「いや、これは俺が読むために買ったものじゃない」
「言い訳はしなくていい。文壇最高のスキャンダル、おまえでなくても興味は湧くだろう。俺でさえ知っているくらいの有名な話だ。谷崎の妻への佐藤春夫の横恋慕は」

実際それは有名な話だったのだ。
谷崎潤一郎の妻と 谷崎の友人であった佐藤春夫との間に恋愛関係が生じ、一度は妻を佐藤に譲ろうとした谷崎が突然その意を翻したため、二人の文士の仲が決裂したことは。
氷河は佐藤春夫の作品を読んだことはなかったが、佐藤の詩集は、『佐藤は妻への思いの丈を詩に託して訴えるので弱った』と谷崎が愚痴るほど、谷崎の妻への熱烈な恋心が綴られた恋愛詩集だという話だった。

紫龍の向かいの席に着き、噂の不倫詩集のページをぺらぺらと繰った氷河は、その中の1つの作品に目をとめた。
一読し、そして吹き出す。
紫龍が覗き込むと、そこには『水辺月夜の歌』と題された詩があった。
人妻への切ない恋に身を焦がす苦しみと嘆きが感傷的に綴られ、『げに卑しかる我ながら、うれいは清し、君ゆえに』で結ばれた短い詩である。
その詩が氷河の失笑を買ったらしかった。

「明治の気概、今いずこ。こんな詩が堂々と出回るようになっては、日本も終わりだな」
嘆かわしげな表情を作って そう言い、氷河はその詩集をテーブルの上に放り投げた。
「相手は人妻、それも別の男との不倫の噂もあった人妻だぞ。そんな女を相手に、自分は卑しい人間だが、その恋心だけは彼女ゆえに清い とは、惚れた女を神聖視しすぎている。思春期の子供じゃあるまいに、恋は盲目とはよく言ったものだ」

その批評を、実に彼らしいものだと紫龍は思ったのだが、それはさておいて、氷河と恋について語る機会に恵まれた今日この日に、紫龍は驚くことになった。
氷河は文学部ではなく法学部に在籍する学生、紫龍は文学部とはいえ哲学科在籍。
二人の間で、認識と経験、宗教の功罪や罪と罰に関する議論が為されたことはあっても、恋などというものが論題に採り上げられたことは、かつて一度もなかったのだ。

「そこまで思える相手に出会えたんだ。羨ましい話じゃないか」
「ただの思い込み。錯覚だ」
あっさり断じる氷河に、紫龍が肩をすくめる。
「非常に端的、身も蓋もないな。議論にならない」

紫龍に自らの書評の単純と非論理性を指摘されて、氷河は彼の意見を冗長に述べることにしたらしい。
それができる男を挑発するのではなかったと、紫龍は自身の軽率を悔やんだのだが、後悔というものは いつでも先に立たないものである。
「つまり佐藤は、彼女が俺を清らかにしてくれる、彼女が恋の対象なのであれば、その人に向ける欲望すら美しいと言って、自分の恋を持ち上げているわけだ。だが、その実態はただの不倫。相手は男を何人も知っている人妻だ。佐藤の恋の相手がそんな清らかな女であるはずがないだろう。大詩人様は そう思いたいだけだ。あるいは、世間にそう訴えたいだけ。ベアトリーチェを思うダンテを気取りたいんだろう。あさましいこと この上ない話じゃないか」

他人の恋に言いたいことを言う氷河に、紫龍は嘆息を禁じ得なかった。
「北村透谷は、『恋愛は人生の秘鑰ひやくなり。恋愛ありてのち、人世あり。恋愛をき去りたらむには、人生何の色味かあらむ』と言っているぞ」
「そんな傍迷惑なことを言った奴がいるから、我が国の文士たちは恋をしなければ いい文芸作品は書けないと思い込んで、懸命に恋をしようとしているんだ。馬鹿げている。あのお粗末なツラで恋も愛もあったもんじゃないだろう」
「顔なんて、灯りを消せば見えなくなる」
「貧弱な身体は灯りを消しても隠しおおせない」

そう言って恋する者たちをあざける氷河の顔は、母親からスラブ系コーカソイドの血が入っているせいで、非常に見事な造形をしており、体格も日本人離れして立派なもの。
だからこそ、氷河の恋愛批判はたちが悪いとも言えた。
恋に向いた容姿を持った氷河は恋をあざけり、氷河に言わせれば 恋には不適当な姿を有する生粋日本人の文士たちは こぞって色恋に血道をあげている。
そういう図式が成立しているのだ、現代の日本国では。

「しなければならないと思ってするのが恋か? 阿呆らしい」
「なら、おまえの言う本当の恋とはどんなものなんだ」
「知らん。したことがないからな」
あっさりと、氷河が言う。
紫龍は何度目かの溜め息を、学友に提供することになった。

「おまえは、自分が知らないものを、そんなに偉そうに語っているのか」
「知らないからこそ、自分の個人的な経験に囚われず、客観的に俯瞰したものの見方ができるんだ」
実に大層な理屈である。
恋愛というものは個人と個人の間にのみ成立するもの。他のどんな事柄よりも経験論で語られるべきものではないか。

「もしかして、おまえの愛読書はあれか。里美クの『君と私と』や秋田雨雀の『同性の恋』」
「馬鹿か」
学習院と早稲田の代表的同性恋愛小説のタイトルを、氷河は鼻で笑った。
もとい、氷河はにこりともしなかった。
恋をしているということを一種のステータスと捉えている現代の軟弱文士たちを、氷河は非難しているのだ。相手が同性でも異性でも、そこに差異はない。

「まあ、それは冗談としても、今の日本では、文才があるというのは恋の才能があるというのと同義だからな。実際、佐藤春夫は売れている。今どきの流行作家の名を挙げろと言われれば、芥川龍之介と並んで佐藤春夫の名が出るだろう」
「だから日本は終わりだと言っているんだ」
「そう終わり終わりと繰り返すな。本当に何か起こりそうな気がしてくる」

それでなくても氷河の主張の根底には、いつもある種の厭世観が存在している。
紫龍は、人の世に絶望するために学問を志しているわけではなかった。
「おまえみたいに硬派を気取っている奴に限って、ある日突然恋に落ちて、あたふたすることになるんだ。――ああ、瞬、こっちだ」
氷河の終末論に嫌な顔をしていた紫龍が、ふいに救いの神に出会ったような安堵の笑みを浮かべる。
どうやら 彼の待ち合わせの相手が来たらしい。
恋する文士たちを擁護する紫龍の待ち合わせの相手は はたしてどれほどの美女なのかと、氷河は、学友の視線の先にあるものを見極めるために その顔をあげた。
予想に反して(実際は予想通り)紫龍の合図を受けて、彼等のついているテーブルの横にやってきたのは絶世の美女ではなかった。






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