恋など知らぬ身であれだけ言えれば立派なものだと、自分自身が瞬と同じことをしていた事実を棚に上げ、氷河は思った。
いちいち勘に障ることに言及し、物怖じせずに他人の心の中に真正面から入り込もうとする遠慮のなさ。
本来なら瞬は、氷河に嫌悪感を抱かせるタイプの人間だった。
氷河は無遠慮で図々しい人間が嫌いだった。

にも関わらず、瞬との会話を楽しいと感じてしまうのは、瞬が頭のいい子だからなのだと思う。
瞬は、勘がよく、他人との波長の合わせ方を心得ている人間のように見えた。
瞬の頭のよさと経験の少なさのアンバランスは確かな事実だと思うのに、なぜか瞬には10代の子供特有の危うさがなく、むしろ その心身は安定しているように感じられる。
だが、なぜそう感じてしまうのか。
氷河は不思議でならなかった。
自分にそう感じさせてしまう瞬という人間が。
そして、瞬をそう感じてしまう自分自身が。

ただ一つ確かな事実は、自分が瞬に対して、もう一度会いたいという抑え難い願いを抱いているということ。
氷河は少しでも長い間、瞬という人間と、同じ場所で同じ時間を過ごしていたかった。
会いたくて、会わずにはいられない。

だから、その日以降、氷河は瞬に何度も会いに行った。
他に特段の用がない時はもちろん、用があっても その用を後まわしにして、氷河は瞬の下校時刻に学習院の門にその姿が現れるのを待つことを日課にしてしまった――正しくは、日課になってしまった――のである。
氷河は、休日には家を出てくるようにと瞬に求めることまでした。

瞬は大抵は快く氷河の求めに応じてくれた。
兄に家にいるように言われない限りはいつも、氷河に指定された場所に嬉しそうに足を運んできてくれる。
共にいる時間が多くなり、互いが知らない恋の話題以外にも様々なことを話すようになるにつれ、氷河には徐々に 瞬のアンバランスと安定の訳がわかってきた。

瞬は決して無邪気で残酷な子供ではなかった。
瞬自身が幼い頃に両親を失っていて、絶対的な力で子供を愛し守る親の不在と欠如感も知っている。
だが、瞬は、その欠如感を埋めるものを兄によって与えられた。
瞬の話を聞く限りでは、あの硬派で有名な男が弟だけは溺愛しているらしい。
その愛情と厳しさは、親が子に与えることのできるもの以上の深さと強さを持つもののようだった。

親のない欠如感を知っている瞬は、しかし兄から与えられる深い愛情を知っており、その結果として、彼は、人間の愛情や優しさを信じることのできる善良な人間に育った。
その心は、同じ年頃の少年に比べると圧倒的に強く深い。
ところが、その兄が 大切な弟を風にも当てぬように世俗の汚れから守ってきたせいで、瞬は人生の経験が圧倒的に不足している。
そういう経緯があって、瞬は、理想主義に走りやすく、だが浮ついたところのない人間に育ったものらしかった。

瞬は、人間を見詰める眼差しが基本的に優しい。
身の周りにまとう空気が優しく温かい。
一緒にいると心地良く、氷河はいつまでも瞬の側で、その優しい空気に触れていたいと願わずにはいられなかった。
親の愛情に縁が薄いのは、努力して変えられる境涯ではない。
だが、瞬に兄がいたように――氷河は瞬に自分の側にいてほしかった。

最初の夏と秋と冬の頃は、瞬と話していことが楽しくてならなかった。
次の春や夏の頃には、その姿を見ているだけでも嬉しくなり、冬の間は瞬に会っていると寒さを忘れた。
やがて、また暖かい季節。
その頃になって氷河は、瞬に会うことをつらく感じるようになり始めたのである。
だが、側にいたい。

自分がそんな矛盾した思いを抱くようになった理由は、今では恋を知る身となっていた氷河には、既に考えるまでもないことだった。






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