侍女たちから解放された氷河王子が欲深大臣と話している様子が、休憩室のドアの向こうにあります。
侍女たちは、氷河王子のお母様と氷河王子のことを“魔女”だの“魔女の息子”だのと言ったことに関しては素直に反省していましたが、氷河王子の暴言までを許したわけではありませんでした。
そういう微妙な気持ちでいる時に、氷河王子が 彼女たちの大嫌いな欲深大臣と一緒にいるのを見てしまったわけです。
彼女たちの胸中に、氷河王子の暴言への怒りが蘇ってきてしまったのは致し方のないことだったかもしれません。

「でも、やっぱり癪ですわ。この国に瞬王子様より綺麗な娘がいないと思われたままにしておくのは」
「いくら大国でも、ゴールドランドにだって瞬王子様より綺麗な娘がいるはずないのに」
「ほんとよねー」
「ねえ、ねえ、私、いいことを考えた」
「なになに?」
女の子というものは、どういうわけか、お喋りが好きでお祭り好き。
一人でいる時には物静かで引っ込み思案な少女も、集団になると人が違ったように強気になることがあるようです。
女の子の心を持っている瞬王子にも、その心理だけはよく理解できないものでした。

その集団心理が、どうやら今日はいつもより活発に働いている模様。
彼女たちの心は、今日は特にしっかりと一つにまとまっているようでした。
「この国に瞬王子様より綺麗な女の子がいることを、氷河王子様に教えてやればいいのよ!」
いちばん年上の侍女が――と言っても、20歳になったばかりでしたが――くすくす笑いながら言うのを聞いて、他の侍女たちは身を乗り出しました。
「でも、そんな子、この国にはいないでしょ」
「いなかったら作ればいいの」
「作るって、どうやって?」

無から有を作るなんて、神様にしかできない芸当です。
でも、言い出しっぺの侍女は自信満々でした。
「今夜、町ではお祝いのお祭りが開催されることになってるでしょ。私、お姫様の仮装をして遊びに行こうと思って、カツラやドレスを用意してたんだけど、行けなくなっちゃったの」
「え、どうして?」
「用意していた仮装用のドレスのウエストが細すぎて入らないことに、今朝気付いたのよ」
「それは……」
侍女たちの顔が揃って同情の色に染まります。
どうやら女の子たちの間では、それはよくあることのようでした。
「見えを張って実際より9センチも細いドレスを買った私が悪いってことはわかってるから、同情はいらないわ。でもせっかくボーナスはたいて買ったドレスとカツラを有効利用しない手はないでしょう」

そう言って、彼女はどこからともなく亜麻色の髪のロングのカツラを取り出しました。
それを見た別の侍女が、ぱっと瞳を輝かせます。
「わかった! あなたより9センチ細いウエストの持ち主に、そのカツラとドレスを着せて、お姫様の仮装をさせるのね」
「その通り!」
言うなり、彼女は手にしていた亜麻色の髪のカツラを瞬王子の頭の上にばさっとかぶせました。
「な……なに……?」

目の前に広がった亜麻色の髪を左右にかき分けて侍女たちを見上げた瞬王子の様子を見て、侍女たちが一斉に、
「かわいいー !! 」
と叫びます。
瞬王子は、この段になって、やっと彼女たちの魂胆を理解し、その場を逃げ出そうとしたのですが、時既に遅し。
なにしろ、侍女たちの数は10数人。
多勢に無勢とはこのことです。
瞬王子は彼女たちに取り押さえられて、きっちりと白いレースのお姫さまドレスを着せられてしまったのでした。

今日はお祝いの無礼講ということになっていましたが、それにしてもこれはあまりに乱暴です。
けれど、彼女たちには自分たちが一国の王子様に無礼を働いているという自覚が全くないようでした。
「もうもう、瞬王子様ったら、なんて可愛いの!」
「亜麻色のさらさらロングヘア、エメラルドみたいな綺麗な瞳、きわめつけがウェディングドレスもまっさおの純白レースのドレス。とても、男の子には見えないー!」
「やだやだ嫉妬感じちゃう〜」
ご意見ご感想は様々でしたが、彼女たちがお姫さまスタイルの瞬王子を喜んでいることは紛れもない大事実。
この計画を最初に言い出した侍女が、最後に瞬王子の亜麻色の髪(のカツラ)に、白い花をあしらったピンクのリボンをつけて、世にも可愛らしいお姫さまのできあがりです。

「傲慢な男を打ちのめすには、恋をさせるしかありませんわ。こんなに美しいお姫様に跪かない男なんているはずがありません。氷河王子様が迫ってきたら、こっぴどく振ってやってくださいね。シルバーランドの名誉のためですから」
何といっても、今日はお祝いの無礼講。
侍女たちは瞬王子を王子様と思っていないようでした。
「そ……そんな、ちょっと待って」

侍女たちは、尻込みする瞬王子の腕やら肩やらをそれぞれに掴んで、無理矢理ホールの中央に引きずっていきました。
そして、つまらなそうな顔をして欲深大臣の話を聞いていた氷河王子の前にずらりと居並ぶと、
「氷河王子様。我が国でいちばん美しい姫君をご紹介いたしますわ」
と言って、氷河王子の方に瞬王子の背中をどんと押しやったのです。

「わあっ」
瞬王子――もとい、瞬王女――の華奢な身体は、ソファに掛けていた氷河王子の胸の中に勢いよく倒れ込むことになりました。
そして、その胸にすっぽりと収まってしまいました。
「す……すみません、ごめんなさい!」
慌てて逃げようとした瞬王子の腕を、侍女たちのものでない手が がしっと掴みます。

「あ……あの……」
もちろん、その手の持ち主は氷河王子。
彼は、亜麻色の髪にピンクのリボンをつけた瞬王子の顔を食い入るように見詰めていましたが、やがて、ふっとその眼差しをやわらげました。
「これは確かに、実に美しい姫君だ」
「す……すみません、ごめんなさい。放してください」

『美しい姫君』なんて言われるのは、瞬王子にとっては『綺麗な王子様』と褒められることより はるかに屈辱的なことでした。
けれど、今はそんなことに腹を立てている場合ではありません。
瞬王子は、とにかく今はこの場から逃げ出さなければと、それだけを考えて焦りまくっていました。
なのに氷河王子は、突然彼の胸の中に飛び込んできた“女の子”の身体を離そうとしないのです。
それどころか、氷河王子は、瞬王子の腕を掴んだまま その場に立ち上がり、
「一曲踊ってくれたら、放してあげますよ」
なんて、とんでもないことを言い出したのです。

「何だか嫌な感じの男に捕まって、逃げる機会を探してたところだったんだ」
小声で瞬王子にそう囁いた氷河王子は、ソファにでっぷりした身体を沈めている欲深大臣をちらりと視線で示して、僅かに肩をすくめてみせました。
「あ……」
では、氷河王子は欲深大臣と共謀して悪事を企んでいたわけではなかったのでしょうか。
それは瞬王子には歓迎すべきことだったのですが、だからといってドレスを着てダンスなんて無理な話です。

「ぼ……僕、ダンスなんて踊れない」
「大丈夫。俺にしがみついていればいい。ステップなんて、どうせドレスで見えないんだから」
「し……しがみつくって……」
「右手を俺の肩に。左手を俺の背にまわして。急いで。曲が始まった」
「か……肩と背中」
囁くように低い声で、けれど逆らうことを許さない口調で氷河王子にそう言われ、瞬王子は慌てて氷河王子に言われた通り、右手を彼の肩に、左手を彼の背にまわしました。

そうしたら。
次の瞬間には、瞬王子は氷河王子にホールの中央に軽々と運ばれてしまっていたのです。
そして、これはどういう魔法なんでしょう。
瞬王子は、まるで風に舞うバラの花びらみたいにくるくる踊って――正しくは踊らされて――しまっていたのです。

それは、夢のような数分間。
瞬王子の目の前には氷河王子の青い瞳があって、周囲の人間の姿は見えなくなり、やがては、二人を包んでいた音楽さえも――瞬王子には聞こえなくなりました。
心と身体がとても軽くて、本当に夢の中で宙を舞っているよう。
瞬王子は、曲が終わってからもしばらくは うっとりと夢見心地で、氷河王子の瞳に見入っていたのです。

「きゃーっっ !! 」
二人だけの世界――二人きりしかいないと思っていた世界に、突然、侍女たちのやけにミーハーな歓声が響き渡ります。
その声で我にかえった瞬王子は慌ててホールから逃げ出すことになりました。
シンデレラ姫なら12時の鐘と共にドレスも消えてくれるところですが、瞬王子が着せられたドレスは、相変わらず瞬王子の身体を包んだまま走りにくいこと この上もありません。
息せき切って自室に飛び込んだ瞬王子は、部屋のドアを閉じると開口一番、
「もう、やだっ! こんなひらひら邪魔っけで!」
と、王子様らしからぬ口振りで、動きにくいドレスに毒づいてしまったのです。

「うっとりして嬉しそうだったじゃん」
いつのまにかそこにやってきていた星矢が、そんな瞬王子をからかってきます。
「そんなことないっ!」
瞬王子は向きになって星矢に言い返しました。
足にまとわりつく長いドレスの裾を『邪魔っけ』と感じる瞬王子の気持ちは、決して嘘ではなかったのです。
けれど、だからといって、瞬王子はあの夢のような時間までを不愉快と思っていたわけではありません。

ダンスなんてできないと思い込んでいた人間が、羽のように軽々と踊ることができた時の気持ち。
これは経験したことのある人間にしかわからないものです。
ダンスに限ったことではありませんよ。
難しい数学の問題が解けた時だって、鉄棒の逆上がりができるようになった時だって、オムレツが初めて綺麗にできた時だって、おんなじです。
そういう時、人は誰もが、まるで新しい世界に足を踏み入れたような不思議な気分になります。
そして、自分を新しい世界に連れていってくれた人が特別な人になるんです。






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