氷河王子が瞬王子の部屋を訪ねてきたのは、翌日の午後のことでした。
昨日の亜麻色の髪の女の子の正体がばれたらどうしようと、どきどきしながら、瞬王子は彼を自分の部屋の中に招き入れたのです。――こころもち、顔を伏せて。

「昨日は失礼した。あとで君には失礼なことを言ってしまったと、大いに反省した」
今日の氷河王子は、昨日よりずっと礼儀正しい王子様でいるようでした。
彼はまず最初に、瞬王子に昨日の失言の詫びを入れてきました。
「あ、いえ、別に気にしてませんから」
瞼を伏せたまま、瞬王子が首を横に振ります。
氷河王子が瞬王子の許を訪ねてきたのは、けれど、昨日の非礼を詫びるためではなかったようでした。
彼は、瞬王子が勧めた椅子に腰をおろそうともせず、彼の用件を切り出してきたのです。
あの亜麻色の髪の少女のことを。

「それで、俺は昨日、素晴らしく俺のタイプの女の子に会ったんだ」
「そ……そうなの?」
「昨日の迫力ある侍女集団に、彼女がどこの誰なのかを尋ねたら、瞬王子に聞けと言われた。知っているか? 俺より2つ3つほど年下で、長い亜麻色の髪をしていて、昨日は白いドレスを身につけていた」
「ぼ……僕は、そんな子は――」

それがこの国の王子だと気付かないでくれと、瞬王子は祈るような気持ちで思っていました。
昨日、侍女の一人が、『瞬王子より綺麗な娘がいないと思われることはシルバーランドの名誉にかかわる』と息巻いていましたが、『シルバーランドの王子が女の子のドレスを着て、ゴールドランドの王子とダンスを踊り、うっとりしていた』なんて、もっとずっとシルバーランドの名誉に関わることです。
幸い、氷河王子は、今彼の目の前にいるシルバーランドの王子に女装癖があるなんて馬鹿な考えには及べずにいるようでした。

「王宮内をくまなく探し回ったんだが見付からない」
それはそうでしょう。
そんな年頃の亜麻色の髪の女の子は、このお城には最初からいないのですから。
「この城の中のことは、君の方が俺より詳しいだろう。探してくれ」
「それは……でも、どうして? その女の子がどうかしたの」
「野暮なことは聞かないでくれ」
「わ……わかりません」

氷河王子が亜麻色の髪の少女を探し出そうとするのは、シルバーランドの王子を馬鹿にするため――ではないはずです。
氷河王子は、亜麻色の髪の少女の正体を知らないのですから。
瞬王子に その理由がわからないことが、氷河王子には それこそ“わからないこと”のようでした。
王子様が美しいお姫さまを探す理由なんて、たった一つしか考えられないことですからね。
「まあ、一言で言えば、俺が彼女に恋をした――ということだ。澄んで……とても美しい目をしていた」

「……」
氷河王子が――瞬王子を『女の子より綺麗な王子様』と馬鹿にして、王宮の侍女たち全員を袖にして、それでも平気な顔をしていた氷河王子が――うっとりと夢見るような表情をしてそう言うのを聞き、瞬王子の心臓は少なくとも10秒間くらいは緊急停止してしまいました。

恋。
この氷河王子が、あの亜麻色の髪の少女に恋をしたなんて。
それがシルバーランドの国にとって都合の良いことなのか悪いことなのか、シルバーランドの王子にとって都合の良いことなのか悪いことなのか、瞬王子は咄嗟に判断することができませんでした。
ただ、止まっていた心臓が動き出した時、瞬王子の胸が早鐘を打つようにどきどきと高鳴ったことだけは、疑いようのない事実だったのです。

「じ……侍女たちが何を言ったのかは知りませんが、僕、そんな女の子、知りません」
「知らないなら、探してくれ」
「どうして僕が」
どうしてシルバーランドの王子が、ゴールドランドの王子の恋した女の子を探さなければならないのか。
瞬王子の素朴な疑問に対する氷河王子の答えは、
「探すと約束してくれたら、耳寄りな情報を提供する」
というものでした。
つまり、答えではなく、交換条件だったのです。

「耳寄りな情報?」
「そう。あの亜麻色の髪の乙女を探してこの城の中を徘徊していたら、あの団子鼻の大臣が国庫に収められた税の麦をどこぞに横流しする計画をしているのを洩れ聞くことになってしまった」
「……ああ、そう」
それは、瞬王子には、『氷河王子が亜麻色の髪の乙女に恋をしている』という情報ほど意外なものでも驚くべきことでもありませんでした。
瞬王子が驚かないことに、氷河王子の方がずっと驚いたようでした。

「驚かないのか?」
「あの欲深大臣の悪巧みはいつものことだから。よその国の王子様が気にする必要はないよ。今夜?」
瞬王子が尋ねると、氷河王子が少し気の抜けたような顔で頷いてきます。
「港の倉庫で取り引きして、船で沖に運ぶと言っていた。王もいないし、ちょろいもんだろうと」
氷河王子はゴールドランドの王子様ですから、それが悪事だということを抜きにしても、王の目を盗んでこそこそと何かを為そうとする家臣というものに怒りを覚えずにはいられなかったのでしょう。
氷河王子の声と言葉には、明確に憤りの響きが含まれていました。

瞬王子が素知らぬ振りをして、そんな氷河王子に尋ねます。
「氷河王子は大臣の味方なんじゃなかったの?」
「味方? 俺はもともと この国に来る用があったんだ。そんな時にちょうど ゴールドランドの王族の誰かをシルバーランドに招待したいという打診があった。てっきり王からの招待なのだと思ってやってきた俺を、この城で出迎えたのはあの団子鼻の大臣だったというわけで――」
あとは察してくれと言うように、氷河王子が瞬王子に肩をすくめてみせます。

「そ……そうなんだ」
氷河王子のその言葉に、瞬王子は安堵しました。
本当に安心したのです。
氷河王子が欲深大臣の悪事に加担するような王子様でないことがわかって。
「耳寄り情報提供に感謝して、その……亜麻色の髪の乙女を探してみることにします」
「頼む。会えばすぐにわかる。君と同じくらい綺麗な子だった。そんな子、そうそういないだろう」
「うん……」
確かに“そんな子”はそうはいないでしょう。

氷河王子が何度も『頼んだぞ』と繰り返して部屋を出ていったあと。
瞬王子は、氷河王子の恋に対して自分がどういう態度をとるべきなのかを、大いに迷うことになりました。
そして、そんなふうに迷う自分に困惑して、わざと乱暴に 側にあった椅子に腰をおろしたのです。
「馬鹿みたい。探してる相手が目の前にいるのに、気付かないなんて。恋をしたなんていわれても、信じられるわけないよ。だいいち、氷河王子は“彼女”とろくに口もきいていないのに……」

そんなに簡単に人が恋に落ちるなんて、それこそ そんなに簡単に信じられるものではありません。
なのに――なのに、胸がどきどきするのはなぜなんでしょう。
瞬王子はこれまで一度も恋をしたことがなかったので、その理由がわかりませんでした。
わかるような気もしたのですが、でも、やっぱりわかりませんでした。
ただ、そんなに嫌な気はしなかったのです。
不思議なことでしたが、嫌な気持ちにはなりませんでした。






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