「冥界へ――帰った……?」
「あなたに泣かれて逃げ帰るなんて みっともないことだから、あなたへの挨拶は勘弁してくれですって」
死者の国に帰っていったという二人からの伝言をアテナから知らされて、瞬はその唇を噛みしめた。

どう足掻いても、最後にはこうなるしかなかった。
人間の命と生は、人の意思の外にある力によって与えられるもので、人が望んで手に入れることのできるものではない。
それが、厳酷な自然の摂理である。
それはわかっていたのだが――彼等が死の国に帰っていった事実を知らされた時、瞬の中に生まれたものは、生きていた時の悔いと未練を消し去る機会を潔く断念した彼等への思いと、そんな彼等に何をしてやることもできなかった己れの無力を悲しむ心だった。
それは、“悔い”と呼べるものだったかもしれない。

「あなたに『ありがとう』と伝えてほしいって。二人共さっぱりした顔をしていたわ」
アテナの翳りのない微笑だけが、瞬の心を僅かになぐさめてくれる ただ一つのものだった。


「僕は――結局二人に何もしてあげられなかったね……」
アテナの前を辞してアテナ神殿を出ると、瞬は独り言のように小さくぽつりと呟いた。
「……」
そうではないことを、氷河は――生きている人間たちの中では氷河だけが――知っていたのだが、彼はその事実を瞬に告げることに ためらいを覚えたのである。

死んだ者たちとはいえ、恋敵は恋敵である。
『彼等は、二度目の生を諦めて、不承不承 死の国に帰っていったのではない。彼等はおそらく彼等が欲しかったものを手に入れて、自らの意思で彼等本来の居場所に戻ることを決めたのだ』という推察――おそらくは事実――を、氷河は本当は瞬に教えたくなかった。
だが、その事実を教えてやらなければ、瞬の心にはいつまでも消えない悔いが残ることになるだろう。
氷河は、不本意ではあったのだが、ゆっくりと口を開いた――開きかけた、その時。

「やあ、アンドロメダ。君は今日も若く美しい」
「こうしてまた会えたことが実に嬉しいよ、私の瞬」
氷河は、アテナ神殿の正面入り口の前に とんでもないもの(たち)が立っているのを見ることになってしまったのである。

「貴様等、冥界に帰ったはずじゃ――」
「ニコルさん……トアス……。ど……どうして?」
昨夜 従容として死者の国に帰っていったはずの男たちが、南欧の明るい陽光にはそぐわない漆黒の服を着にまとい、なぜかひどく明るい表情を浮かべて そこに立っていた――のだ。

「それが……ハーデスは我々の不甲斐なさに相当腹を立てたようで――。我々は冥界に入れてもらえなかったんだ」
「入れてもらえなかった……?」
「キグナスにぎゃふんと言わせるまでは、死んでも・・・・冥界に帰ってくるなと言われてしまった」
「死んでも――って……」
一度死んだ男たちに、ハーデスはいったいどういうつもりでそんなことを言ったのか――。
「そういうわけなので、よろしく」
トアスとニコルが、瞬の隣りに立つ男を華麗に無視して、瞬にだけ手を差し延べてくる。
瞬は、目の前に差し出された二つの手をどうすべきなのかに迷い、幾度も瞬きを繰り返すことになった。

人間の命と生は、人の意思の外にある力によって与えられるもので、人が望んで手にいれることのできるものではない。
彼等は決して二度目の生を望んでいたわけではなかったのに、人ではない神――冥界の王――がそれを許してしまったのだから、もしかしたら 彼等の生は、今度は自然の摂理にのっとったものなのかもしれない。

それにしても、あまりに特殊な状況で、瞬は彼等の生還(?)を手放しで喜んでいいのかどうかを、にわかには判断しきれなかったのである。

そんな瞬とは対照的に、氷河は明瞭かつ迅速にすべてを理解し、悟っていた。
「おお、そこにいたのか、キグナス。アンドロメダの可愛らしさに目を奪われていて、全く気付かなかった」
白々しいほど にこやかに笑って、トアスが瞳を見開く真似をする。
「私がこうして三度生き返ることになったのは、清らかな瞬をたぶらかす悪党を滅ぼし去れという天の意思によるものだと、私は確信しているぞ、氷河」
眼差しに決意をみなぎらせた聖域の元教皇代理が、面差しだけはおだやかに氷河を挑発してくる。

大義もなく、正義もない、ただ瞬に愛された者だけが生き残る生存競争――ギガントマキア。
氷河にはすべてがわかっていた――見えていた。
真の戦いは、今 始まったばかりなのだということが。






Fin.






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