「氷河。一応 訊くけど、おまえ、瞬がどこにいったか知らないか」
その日、星矢が いかにも不本意といった顔をして氷河に尋ねてきたのは、夜の8時を過ぎた頃だった。
それで、氷河は、すべてが自分の思惑通りに進行していることを確認できたのである。
星矢がそんなことを訊いてくるということは、瞬が 今現在 この城戸邸内にいないということの証左だった。
そもそも一人で外出することが少なく、たとえ一人で外出することがあっても、よほどのことがない限り いつも7時には帰宅する瞬を、星矢が捜している――のだから。

氷河は問われたことには答えずに、首を横に振った。
そうしてから、窓の外に視線を転じ、
「嵐がくるな」
と呟いた。
それは、瞬の身を案じての呟きではなく、ただ事実を口にしていただけのもの。
そんな氷河の口調に 星矢は引っかかるものを感じたようだったが、星矢に不審の目を向けられても、氷河はそれ以上のことは何もいわなかった。

瞬が今どこにいるのかを、氷河は瞬に知らされていなかった。
知らされていないことを“氷河”が知るはずもなく、必然的に、質問された者は質問者の質問に答えることはできない。
事実、氷河は、瞬が今どこにいるのかを知らなかった。
氷河が知っているのは、瞬が、仲間が見失った母の写真を探しにいくだろうことだけだったのだ。
心優しく、他人への思い遣りにあふれ、他人の痛みに敏感で、その上 内罰的傾向の強い“いい子”の瞬なら、必ず そうするだろうと、氷河は考えていた――ほとんど確信していた。

まもなく、目当てのものを見付けられず、しょんぼりして、瞬は仲間たちのいる この家に帰ってくるだろう。
だが、瞬は それを“仲間”のせいにすることはできない。
誰のせいにすることもできない。
もちろん、事実を星矢たちに知らせることも――告げ口をすることも――“いい子”の瞬にはできない。
ただ仲間に心配をかけたという事実だけが、瞬と星矢たちの間には残り、瞬は仲間たちに慰めてもらうこともできないのだ。

そうなればいいと、氷河は思っていた。
苦労が報われず、自らの努力を誰に褒めてもらうこともできない事態。
そういう事態の当事者になることで、瞬は、“いい子”でいることの無意味を思い知る。
そうして、瞬が“いい子”でいることをやめればいいと――そうなることを、氷河は期待していた。
十中八九、瞬は“いい子”でいることをやめるだろうとも、彼は思っていた。
親切の徒労という経験をして、瞬は、自分が傷付かないために、どう振舞うのが利口なのかを学習するのだ。
結果として、瞬は、自分に優しい人より 冷たい人間にこそ意識を向け、注意を払い、慎重に振舞うようになるだろう。
自分が傷付かないために。
自分が人に傷付けられないことを願うあまりに。

窓の外では、激しい雨が強い風にあおられ、庭の木々を大きく しならせ、打ち据えていた。
この嵐は、関東より西方にある殺生谷では、もっと早い時刻から 吹き荒れていただろう。
そろそろ 夜目もきかなくなり、瞬は肩を落として帰途についているはず。
瞬の帰宅は深夜になるだろうと、氷河は踏んでいた。






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