「貴さんに好きだって言われたの」
この重大な事件を、自分でも意外に思うほど取り乱すことなく 瞬が氷河に報告できたのは、瞬にはどうしても貴氏の好意が恋だとは思えなかったからだった。
ふざけているのだとも思えなかったが、貴氏の声や表情は、恋の告白のそれにしては、あまりにも冷静で落ち着きすぎていた。
だから、瞬には、貴氏の『好き』を、友情や親愛を意味する『好き』だとしか思えなかったのだ。

そう思うのに、そう思っていることを伏せて、瞬が氷河に、
「僕は『僕も好き』って言うべきだったの?」
と尋ねたのは、その質問に対する氷河の答えを、瞬が知りたかったから。
貴氏の告白(?)に、氷河がどう憤るのかを知りたかったから、氷河がどんな口調で『沢山家にはもう行くな』と言うのかを、知りたかった――見たかった――からだった。

だが、瞬の想像――というより期待――は外れた。
氷河は、貴氏の告白に憤った様子は見せず、沢山家訪問を瞬に禁じることもしなかったのだ。
僕は『僕も好き』って言うべきだったの? ――そう尋ねた瞬に、氷河は、ほとんど感情を動かされた様子もなく、瞬のすべきことを指示してきた。
「そうだ。大好きだと答えてやればいいんだ。そして、それがどういう種類の好意なのかは曖昧にしておく。それで、軟弱息子は絶望もしないし、過剰な期待もしない」
「そ……う……。僕は貴さんに『僕も好き』って言うべきなの……」

冷静で、おそらくは適切な氷河の指示。
瞬は、だが、氷河のその冷静さと適切さに、強い衝撃を受けてしまったのである。
今日は、他には、氷河への質問はない。
氷河の指示を仰がなければならないような問題もない。
質問や問題があったとしても、今は氷河の側にいたくない。
ふらふらと氷河の部屋を出た瞬は、氷河の部屋のドアの脇に星矢が立っていることにも気付かなかった。


「おまえ、よく続くなー。この件に関してだけは、おまえのポーカーフェイスは完璧だぜ。あれじゃあ、瞬はおまえの気持ちに気付かない。気付きようもない」
瞬が覚束ない足取りで自室に入るのを見届けてから、星矢は、開け放たれたままになっていたドアから、白鳥座の聖闘士の部屋に入った。
そして、呆れた口調で氷河の指導振りを賞讃した。
その時には既に、氷河はポーカーフェイスではなくなっていたのだが。
彼は、明白に苛立っていた。

「おまえたちは、そこを見込んで、俺を瞬の指導官に推挙したんだろう」
「それはそうだけどさ」
それはそうだったのだが、星矢の狙いは別にあったのだ。
一度 氷河に頷いてから、星矢は改めて 2度3度 首を横に振った。
「俺、ほんとはさ、心を隠す方法なんてものを真面目に瞬にレクチャーしてたら、おまえは逆に心を隠していられなくなって、瞬に告白せざるを得なくなるだろうって、そっちの方を期待してたんだ。瞬を好きだっていうライバルも出てきたことだし、いくらおまえでも そうそう悠長に構えてられなくなるだろう――って」

「ふん。そんなことだろうと思った。詰まらん小細工をするな」
「おまえ、なんで、瞬に好きだって言わねーの。瞬が男だからか?」
「……」
それは、“詰まらん小細工”よりも はるかに氷河の神経を逆撫でする質問だろうと、星矢は思っていた。
が、星矢にそう問われた途端、氷河は、それまで露骨に見せていた苛立ちを、月の引力に引かれて退いていく潮のように、あるいは 月の引力に引かれて満ちてくる潮のように、綺麗に消し去ってしまった。

「そんなことは俺は気にしないが、瞬は気にするだろう。だが、俺が瞬に好きだと言わないのは、むしろ、瞬が聖闘士だからだろうな。俺は瞬のために何をしてやることもできない男だし――。世界の平和だの、戦いの意義だのと、高尚なことを悩んでいる瞬に、実は俺はそんなことはどうでもいいと思っていて、あまつさえ おまえへの恋心に毎日苦悶しているんだなんて、本当のことを言ったら、瞬は俺を馬鹿だと思うだろう」
「んなことねーだろ。瞬は、地球より、一人の人間の心の方が重いって考える奴だぜ。現に今、瞬は、赤の他人のために あれこれ思い悩んでいる」
「だから、特に今は、瞬の悩みの種を増やすことは避けた方が無難だろう」

確かに、今は・・そうかもしれない。
だが、氷河は、今だけでなく、これまでもずっと その心を隠してきた。
その理由がわかるようで わからないことが、星矢の気持ちを座りの悪いものにしていた。
瞬が、軽々しく『好きだ』と言える相手ではないことは、星矢も承知していた。
氷河がそう考えることは無理からぬことのような気がするし、道理だとも思う。
だが、道理で片付けられないのが恋というものだろう――とも、星矢は思っていたのだ。

今は・・、俺も紫龍もおまえの意思を尊重するけどさー」
氷河をためらわせているものが、臆病や遠慮だとは思えない。
だが、万一 そうだった時のために、星矢は氷河に言ったのである。
「これだけは言っておくぞ。おまえが沢山さんちの自慢の息子より長生きするとは限らない。おまえにも瞬にも 時間は無限にあるわけじゃない」
星矢の忠告を聞いた氷河が、僅かに その顔に感情の色のようなものを浮かべる。

「……そうだな。時間は無限にあるものではない」
「大事なことだから、忘れるなよ」
自身に言いきかせるように 仲間の忠告を復唱した氷河に、星矢は念を押した。






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