氷河は、彼が恋に落ちた相手が誰なのかを、瞬に教えてくれなかった。 氷河の恋に協力したくても、彼の恋の相手が誰なのかがわからないのでは動くに動けない――。 そんなことを考えながら、翌朝 瞬は階下におり、ラウンジのドアに手をかけた。 そのドアを僅かに開けた途端、真夏の雷鳴もかくやとばかりの星矢の大きな怒鳴り声が もう一つのドアとなって、瞬の入室を妨げてきたのである。 さすがの星矢も独り言で それほどの大声を出すことはできないらしく、室内には彼の怒声を受けとめる もう一人の人間がいた。 「事が思い通りに進まないからって、俺に当たるなよ! 男のヒステリーなんて みっともないだけだぞ!」 「やかましいっ! 貴様なんかに、俺の気持ちがわかるものかっ」 「わかんねーよ! せめて俺にどうしてほしいのか具体的にはっきり言ってくれなきゃ! 知っての通り、俺は単純馬鹿なんだから。どうしてほしいのか はっきり言ってくれたら、その内容にもよるけど、俺だっておまえのために一肌脱ぐくらいのことはしてやってもいいって思ってんのに、おまえときたら 一人でぴりぴりしてるだけでさ!」 「……」 二人の言い争いの原因が何であるのかは瞬には わからなかったが、星矢は 決して氷河の主張(?)を全面的に否定しているわけではないらしい。 かつまた、氷河への非協力的態度を貫こうとしているわけでもないらしい。 そのことを知らされた氷河は、星矢の大声に音量で対抗するのをやめたようだった。 「俺は おまえに何かしてほしいわけじゃないんだ。ただ……」 氷河の声音が、事が思い通りにならないことに焦れ、だが為す術を持たない人間のそれのように力ないものに変わる。 「貴様のようにデリカシーのない奴に、俺の気持ちがわかるわけがない……」 最後には まるで詠嘆の息のように小さくなってしまった氷河の声は どこか やるせなげで、そして、それは耐え難い苦痛を必死に耐えている人間の呻きに似ていた。 おそらく、今 星矢を見詰めている彼の眼差しも、声と同様 懸命に苦しみに耐えている人間のそれであるに違いないと、瞬は思った。 そして、瞬は、突然、ある可能性に気付いたのである。 すなわち、氷河の好きな同性の相手が星矢である可能性に。 考えてみれば――改めて考えてみるまでもなく――その気になれば女性など よりどりみどりの氷河が、わざわざ障害の多い同性との恋に落ちること自体が尋常のことではないのである。 彼の恋の相手が 彼の人生に不可欠といっていいほど重要な人物であるのでもなければ。 氷河の恋の相手が、命をかけた戦いを共にしてきた仲間だというのなら、それも納得できる。 納得するだけでなく――瞬は、氷河の恋の相手が それ以外の人間であるはずがないと確信することさえできてしまったのだった。 瞬も、星矢は好きだった。 星矢を好きになる氷河の気持ちはよくわかる。 星矢は希望と奇跡の具現者なのだ。 星矢は、明るく熱く輝く太陽そのもの。 そして、太陽は、人が その生を営むために なくてはならないものである。 だが、その太陽は 情緒面で少々晩生で、ロマンスの類には ほとんど心を動かさない。 星矢は、恋情より友情、恋人より肉親、恋愛より戦闘、花より団子の世界の住人なのだ。 真夏の太陽のように明るく容赦なく輝き、割り切れない割り算や 煮え切らない肉じゃがが嫌いな星矢には、割り切れず煮え切らないものの代表格である恋など、全く関心を抱けないものなのかもしれない。 竹を割ったような性格で、言いたいことを ぽんぽん言う星矢が相手では、恋を語るにふさわしいロマンチックな雰囲気を かもし出すのも 非常に困難なことだろう。 ロマンチックに恋を語りたくても、二人の会話は いつのまにか大声での怒鳴り合いになってしまう。 だから、氷河は、自分の恋を星矢に告げることができず、一向に進展しない恋に焦れ嘆くことになっているのだ。 瞬は、そう察した。 氷河の恋を実らせるには、まず何といっても、彼が彼の恋を告白できるシチュエーションが必要。 静かに、ロマンチックに、二人が語り合えるような場面が必要なのだと。 瞬はもちろん、二人にそういう場面を提供すべく、即座に行動を開始した。 |