それを 困っている顔というべきか、呆れかえっている顔というべきか。 あるいは 怒っているようにも、疲れているようにも見える瞬の顔。 どういう表情をしていても 瞬は可愛い――そんなことを考えながら、氷河はラウンジに入っていったのである。 瞬はどうやらソファに ぐったりした様子で身体を預けている星矢のために、その複雑怪奇で可愛らしい顔を作ってやっていたものらしい。 「もう、ほんとに心配させないで。打ち身と擦り傷だけで済んだからよかったものの、もし打ちどころが悪かったら、こんな絆創膏くらいじゃ済まなかったよ」 ラウンジのセンターテーブルの上には、消毒薬や湿布薬等、救急箱の中身が派手に広げられている。 「どうしたんだ」 氷河が尋ねると、瞬は深い溜め息を一つついてから、事の次第を氷河に説明してくれた。 「星矢が、本の下敷きになって死にかけたの」 「本の下敷き? 星矢がか?」 星矢の愛読書は、厚みはあるが軽量の古紙パルプ再生紙でできた書物――つまりはマンガ雑誌である。 そんなものが、たとえ千冊、受け身の態勢ができていない人間の上に降りかかってきたとしても、人が――ましてや星矢が――死にかけることなどできるものだろうか。 そう考えた氷河の疑念を的確に察したらしく、星矢は むっとした顔で、白鳥座の聖闘士の考え違いを指摘かつ否定してきた。 「この頃 瞬が落ち込んでるみたいだって、紫龍に言われたからさ、俺がお使いしなかったせいで、おまえにお預け食らわせることになって、瞬は そのこと気に病んでるのかなーって思ったんだよ。だから、例の改装中の本屋に頼み込んで、あの本屋が本を預けてる倉庫に入れてもらって、俺が受け取ってくるはずだった『アルマゲドン』を探させてもらったわけ。積み重なってる本の山を かき分け かき分けしながら必死に探したのに なかなか見付からないのに苛ついて、ちょっと力を入れて本の壁を叩いてやったら、どさどさどさーっと、本の山が俺めがけて崩れてきたんだ。山津波ならぬ本津波。黄金聖闘士の光速拳なんて目じゃなかったぜ。とてもじゃないけど防ぎきれなかった」 「おまえは馬鹿か」 それ以外に、どんな賞賛の言葉を捧げることができるのか。 他にどんな言葉も思いつけなかった氷河は、ためらいもなく その言葉を天馬座の聖闘士にプレゼントした。 少なくとも4つ以上の絆創膏を顔に貼りつけた星矢が、いつものように自在に表情を作れないことに焦れたように、苛立たしげな声を室内に響かせる。 「馬鹿で悪かったな! 言っとくけど、俺はおまえのために そんな馬鹿なことしたわけじゃないぞ。俺は、瞬のために――瞬が気に病んでるだろうって思ったから、勇気を奮い起こして、あの本の山に挑んでいったんだ!」 氷河は、それでも星矢は馬鹿だという認識を改めることができなかった。 瞬は 素直に星矢の勇気と厚意に感動しているようだったが。 しかし、星矢の勇気と厚意に対する瞬の感動も、決して純粋な感謝の念だけで形成されているものではなかったのである。 なにしろ、 「星矢、ほんとにありがとう。でも……でも、あのね。すごく言いにくいんだけど、氷河が本屋さんに頼んでた本は『アルマゲドン』じゃなく『アルマゲスト』なの」 「へ?」 星矢は、一瞬 呆けた顔になり、その10秒後、絆創膏だらけの顔を、絆創膏のせいではなく、盛大に歪めた。 名誉の負傷を負った星矢と その治療にいそしむ瞬を、二人の脇で見物していた紫龍が、笑いを胸中に引き留めておくことができなかったのか、声をあげて笑い出す。 「なんだよもー! 俺は、一生懸命 タイトル違いの本を探して、あげくに こんな瀕死の重傷を負ったのかよ!」 瞬には 申し訳なさそうな目で見詰められ、氷河には『馬鹿』のレッテルを貼られ、その上、紫龍の大爆笑。 星矢としては、開き直って自分の馬鹿さ加減を認めるしか 対処の方法がなかったのだろう。 彼は、瀕死の重傷患者にしては威勢のよすぎる声を、ラウンジ内に木霊させた。 「ありがとう。星矢たちが僕の側にいてくれること、僕、忘れないよ、絶対」 忘れられないことや忘れてしまうことに、これからも自分は苦しみ続けるのだろう。 それでも決して 自分は その苦しみに打ちのめされてしまうことはない。 そう信じることができるから、瞬は、作りものでない笑顔を 仲間たちに向けることができたのである。 同じ笑顔で、瞬の仲間たちが、瞬を見詰め返してくれていた。 Fin.
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