「おまえ、もしかして、自分でも気付かないうちに、何か決定的に瞬に嫌われるようなこと しちまったんじゃねーのか? 女共に散々 髪の毛 いじられまくって耐性がついちまったのかもしれないけど、俺と紫龍は 瞬の髪に触り放題だぜ? なのに、おまえだけ断固拒否ってのは、どう考えても、おまえが瞬に何かしでかしたとしか――」
「瞬に嫌われるようなことなど、しとらんっ! するわけがないだろう! 自慢じゃないが、俺は春夏秋冬、朝昼晩、瞬に好かれたいと、それしか考えていない男だぞ!」
「それ、ほんとに自慢になんねーだろ……」
「うむ。だいいち、おまえは自信満々でそう言うが、おまえは時々 星矢より迂闊で粗忽で不注意なことをしでかす男だ。自分でも気付かぬうちに、瞬に嫌われるようなことをしてしまったというのは、大いにありえることだ」
「しかし、俺は本当に――」
「そして、これは非常に重要な問題だがな。瞬は基本的に人を嫌うということをしない人間だ。自分の命を奪おうとしている敵をさえ、瞬は本気で嫌ったり、憎んだりしたことはないだろう。そういう人間に ここまで徹底して避けられるというのは余程のことだ。おまえは自分では気付かぬうちに、瞬に相当ひどいことをしたんだ。瞬がおまえを許すことがあるのかどうかも怪しいほど」
「うー……」

自分が ある意味では非常に迂闊な男だということは、氷河も自覚していた。
興味のあるもの、好きなものにしか注意を払わず、それ以外のものは存在していることすら意識しないことが多い。
そのせいで、命をかけた戦闘中に自らを危地に追い込んだことも1度や2度ではない――3度、4度はあった。
しかし、である。
氷河にとって 瞬は、“大いに興味のあるもの”“何よりも好きなもの”だった。
つまり、氷河にとって 瞬は、他の何よりも細心の注意を払って接しているもの、最も慎重に接している人だったのだ。
『瞬がおまえに触れられることを避けているのは、おまえのせいだ』という星矢や紫龍の見解を、氷河は どうしても受け入れられなかった。
それが事実なのだとしても、受け入れることはできなかった。

「たとえ、瞬が地球上のすべての人間に好意を抱いていて、俺だけを嫌いなのだとしても、俺は瞬を諦めん! 諦めてたまるか!」
「でもよー。諦めが悪いのが俺たちアテナの聖闘士の身上だけどさ、男には 時には 潔く諦めることが必要な場合もあるんじゃねーのか? 瞬が誰かを嫌うとか、避けるとか、よくあることじゃねーぞ」
「うるさいっ! そんなことはわかっている!」
苛立って、氷河は星矢を怒鳴りつけた。
これが異常事態で非常事態であることは、氷河とて わかっているのだ。
ただ、なぜ その異常で非常な事態が 今ここに現出することになったのかが わからない。
現実がわかることに苛立ち、原因がわからないことに、また苛立つ。
わかることと わからないことの間で悶々としている自分に苛立った氷河が、頭を冷やすべく外の空気を吸いに行こうと考え、掛けていた椅子から立ち上がった時だった。
まるで その時を見計らっていたかのように、瞬がラウンジに入ってきたのは。

タイミング的にも勢い的にも、元の場所に戻ることができなかった氷河は、瞬に向かって、
「いいか、俺は おまえを諦めん! 諦めんぞ、覚えておけ!」
という怒声を投げつけて、ラウンジを出ていくしかなかったのだった。


「氷河は何を怒ってるの……?」
乱暴な足取りでラウンジを出ていく氷河を見送った瞬に そう尋ねられ、星矢は返答に窮してしまったのである。
瞬は、どう見ても、氷河に 髪に触られることを、意識して避けていた。
にもかかわらず、瞬は、それが氷河の気分を害すること――もしかしたら、氷河を傷付けること――だという認識は抱いていないらしい。
氷河の気分を害し、氷河を傷付けることは、瞬の本意ではないらしい。
では、なぜ瞬は、氷河にだけ それを許さないのか。
そこのところが、星矢には全く わからなかったのだ。

「氷河は、その……怒ってるわけじゃないんだけどさ……。なあ、おまえ、なんで氷河にだけ――いや、おまえ、ちょっとだけ氷河に――」
「え?」
「んにゃ……」
歯切れの悪い仲間に首をかしげてみせる瞬の前で、星矢は自分が言おうとした言葉を呑み込んだ。
ここで、『何があったのかは知らねーけど、そこを我慢して、おまえ、ちょっとだけ氷河に髪を触らせてやれよ』と言ったところで、問題は解決しない。
仲間同士の人間関係を円滑にするために我慢して髪に触らせてもらっても、氷河はそれを素直に喜ぶことはできないだろうし、そもそも瞬がそれを我慢する気になるかどうかが わからない。
無益な対立や波風を生まないために 滅多に人に逆らうことをしない瞬は、であればこそ、一度 こうと決めたことは、決して曲げず、折れず、譲らない人間だった。
『我慢してやれ』と言って、『嫌だ』という答えが瞬から返ってきた時、事態は 今度こそ本当に 出口のない袋小路に はまり込むことになるのだ。

星矢は、そうなることを恐れていた。
そして、そうなることを恐れる気持ち以上に、星矢の目には、それでも、どうしても、瞬が氷河を嫌っているようには見えなかったのである。
不思議なことだが、瞬は こうなる以前より、こうなってしまってからの方が、氷河を見ていることが多くなっていた。
それだけでなく、氷河を見詰める その視線も、以前より切なげで物思わしげなものになったような気がする。
ただ、瞬は、氷河に その髪に触れることだけはさせないのだ
その一事がなければ、星矢には、瞬は以前より氷河への好意を深めているようにしか見えなかった。






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