人間はいつかは必ず死ぬ。 幸福になりたいと どれほど願い努力しても幸福になれない者、恵まれすぎるほど愛に恵まれ幸福な人生を過ごす者――人間の人生は不公平なものだが、死の時だけは誰にでも公平に訪れる。 自らの幸福だけを願う者、すべての人の幸福を願う者、善良な者、邪まな者、生きていたい者、死を望む者、誰にでも公平に。 実に不公平なことだと、俺は思う。 自分の死なら、受け入れることは容易だ。 自分の死を悲しむ者は自分ではなく、自分の存在の喪失に苦しむ者もまた、自分ではないのだから。 だが、自分以外の人――自分が愛する人、共に幸福になりたいと願う人、その人といれば幸福でいられると思う人――そういう人の死は耐え難い苦痛だ。 そういう人を失うことは、決して埋めることのできない喪失感を生む。 それが自分の親だったり、自分より年上の者なら、その死がどれほど つらく悲しくても まだ諦めがつく。 これも運命、順番というものなのだと、無理に自分を納得させることができないでもない。 しかし、そうでない場合は――その現実がやりきれず、それも運命と割り切ることもできず、どういう理屈をつけても自分を納得させることができない――諦めきれない。 余人の場合は知らないが、少なくとも 俺の場合はそうだった。 俺が瞬を失ったのは 20代の半ば。 瞬は俺より1つ年下だった。 俺より若く、俺より美しく、俺より生きることを愛し、望み、俺より 俺を愛してくれた人を、俺は失った。 そこで死ぬことを望んでいたわけではなかったろうが、そこで死ぬことになるだろうと思っていただろう場所――戦場で。 どうせいつか死ぬのなら そういう死に方をしたいと望んでいたに違いない死に方――仲間を、俺を救うために。 「僕は、生きていれば、人は幸福になれると信じてる。僕が氷河を守ったのは、氷河に生きて幸せになってほしいからだよ。忘れないで」 それが瞬の最期の言葉。 これからも生き続けろというのが。 ろくに熟考もせず、瞬の言葉を認め従うのを常としていた俺が、その時ばかりは 瞬の言葉に異議を唱えたくなった。 生きていれば、人は幸せになれる? だから 生きていろ? では、おまえは !? 俺を残して死んでいくおまえは、おまえ自身の幸福を諦めたということではないのか。 それは あまりに身勝手な、矛盾ではないかと。 俺を、瞬がいてくれさえすれば幸福でいられる男にしたのは瞬だ。 俺を、どんな苦しみにも どんな悲しみにも、瞬がいてくれさえすれば耐えられる人間にしたのは瞬だ。 なのに、そんな俺に、『今日から僕は氷河の側にいられなくなったから、氷河は一人で幸せになって』と求めるのは、あまりに理不尽だ。 瞬がいないことが苦しい。悲しい。 こんなに つらいのに、俺はどうして生きていなければならないのか。 人が生きているのは、幸福になるためだろう。 瞬は いつも そう言っていた。 それは翻って見れば、もう二度と自分は幸福になれないと確信できる人間は死んでもいいということなのではないかと思った。 アテナや星矢や紫龍――仲間がいたから、俺は死ねなかったが。 本音を言えば――瞬との死別は俺にとって 耐え難い苦痛だったが、俺はそれが永い別れになるとは思っていなかったんだ。 俺は、地上の平和と安寧を守るために命をかけて戦うアテナの聖闘士だ。 自死を選ばなくても、アテナの聖闘士としての務めを果たしていれば、そのうち俺の力では到底 太刀打ちできないような強大な力を持つ敵が現われて、俺を瞬の許に連れていってくれるだろうと、俺は安直に信じていた。 だから、瞬を失ってからの俺は かなり無茶な戦い方を――それこそ死を恐れていない者の戦い方を――する聖闘士になった。 そういう戦いの中で、だが、俺はいつも紙一重のところで死ねなかった。 そして、そういう戦いの中で積まれた経験が、俺を強くしてしまった。 瞬の言葉に従えと運命が命じているかのように、俺は死の機会を逸し続け――死に損ない続けた。 それから十数年。 瞬の許に行きたいと願いながら、それでも俺が死ななかったのは、結局は 瞬が俺に『生きていろ』と言ったからだったろう。 自死を選べば、たとえ 俺は、瞬に嫌われたくなかったし、瞬を悲しませたくなかった。 俺は、瞬の前では だから――生きているしかなかったんだ。 |