礼儀を知らない子供が俺を不快にする行為を いやにあっさり中断してくれたのは、俺の滞在場所を知って、翌日以降も俺を不快にし続けることができるとわかり安心したから(?)だったらしい。
翌日――本当に昨日の今日、生意気な偽の瞬は 城戸邸に乗り込んできた。
堂々と正面から、
「氷河さんを10時に訪ねる約束をしたんだけど」
と、大嘘をついて。
メイドに、約束の相手が来ていると言われ、記憶にない約束に眉をひそめて客間におりていった俺は、そこに昨日の生意気な子供の姿を見い出して、実に堂々とした その嘘つき振りに、むしろ感心してしまったんだ。
追い返す気が殺がれた。
真面目に腹を立てて、この子供を追い返そうとすると、相当の時間と労力を費やすことになるだろうことが容易に察せられたから。
俺は面倒なことは嫌いだ。
戦い以外の場面では できる限り怠けていたい。
だから――椅子を勧めるまでもなく、三人掛けのソファの真ん中に座っていた偽の瞬を斜め右から見る安楽椅子に俺は無言で腰をおろした。

「で? 昨日、君はなぜ私に声をかけてきたんだ?」
生意気な子供に振り回されるくらいなら 俺が議事進行を担った方が、まだ感じる不快が少なくて済む。
そう考えて、俺は、客より先に口を開いた。
子供は気紛れなものと言っても、その気紛れには何からの動機があるはず。
何が この子供をして、この俺に声をかけるなどという恐いもの知らずな行動に走らせたのか。
俺は、それを知っておこうと思った。
偽の瞬の答えは実にくだらない、だが度胸のあるものだった。

「それは あなたのせいだよ。あなたが目立ちすぎてたから。それも違和感ばりばりで。あそこにいた人たち、みんながあなたを見てたよ。あなたが誰なのかを気にしてた。でも誰も声をかける勇気がないらしくて、だから僕、いらいらしたんだ。知りたいなら訊けばいいのにって」
「いらいらね」
「そ。いらいら。それに、あなた、男なら誰だって あなたみたいになりたいって思うだろうっていう姿と雰囲気してるじゃない。一応、男のはしくれとしてさ、あなたみたいになるコツを ご教示願えたらと思って」
何が『ご教示』だ。
こんな時にだけ敬語を使いやがって。
嫌味たらしい含み笑いを含み切れずに、どの口でそんなことを言うか。

「それは褒めているつもりか。まあ、光栄と言っておこう」
無表情に自分の不機嫌を完全に隠して にこやかに そう答えながら、俺は むしろ落胆していた。
俺の瞬なら、『寂しそうに見えたから』とでも言うところだ。
瞬が見知らぬ他人に声を掛ける動機は、その人の心身を気遣った場合以外にはありえない。
「なのに、寂しそうだったから」
「……」
この子供は、やはり どこか奇妙だ。
瞬には全く似ていないのに、何かが引っかかる・・・・・
妙に赤い唇――。
その赤い唇が、まるで瞬のような提案をしてくる。
瞬には何も――どこも似ていない調子で。

「ねえ、小手毬の花を見に行かない? たくさん咲いているところを知っているんだ」
「君は学校は? 春休みはとうに終わっているだろう、君は中学生か? それとも高校生なのか」
花を見に行くのは大変結構だが、大人になった俺は、聖闘士でもない子供は学校に行くものだという常識を知っている。
が、偽の瞬は、そんなことは大した問題ではないというかのように あっけらかんと、俺の質問に答えてきた――彼の事情を教えてくれた。

「高校1年生だよ。人に馬鹿にされるのが嫌だったから、都内でいちばん偏差値の高い高校に入ったんだけど、入ったらどうでもよくなっちゃって。今は僕、学校に行かなくてもいいの。行かないことが許されてる。不登校なんだ。元気な人たちの中にいると、胸が苦しくなる病気持ちなんだよ。躁鬱病か、自律神経失調症か、パニック障害か、そんな感じ」
そのどれでもないだろう。
しいて言うなら、この子供は虚言癖の持ち主だ。

「君は、私が何者なのか、絵梨衣から聞いたのか」
「聞き出した。最初は何の冗談かと思ったよ。アテナの聖闘士だなんて」
ふん。
そんなことだろうと思った。
つまり この子は、世にも珍しい職業従事者に野次馬根性じみた好奇心を抱いて ここに来たんだ。
「君も聖闘士になりたいとでも?」
「まさか。僕は、人のために危険なことするのはごめんだよ」
「ではなぜ」
「あなたが気になって仕様がないから」
実に見え透いた嘘だ。
俺はアテナの聖闘士だということ以外には、何の取りえも美点も持たない卑小な人間だ。
気高い心も、崇高な理想も持っていない。
夢も希望もない。
あるのは、生きていることへの倦怠感だけ。
人を惹きつける要素は何もない男。
前途あるワカモノならなおさら、避けて通りたい相手だろう。

「絵梨衣先生がね、僕のこと、あなたの瞬さんに全然似てないのに似てるって言ってたよ。あなたはどう思う? 似てる? 似てない?」
この子供は急に何を言い出したんだ !?
似ていてたまるか!
俺の瞬を侮辱するな、この礼儀知らずのくそガキが!
絵梨衣も絵梨衣だ。
いったいどこを見れば、このくそガキと俺の瞬に似たところがあるなんて馬鹿げた考えが湧いてくるんだ!
俺の瞬は、誰に対しても慈しみの目を注いでいる子だった。
俺の瞬は優しい花で、棘は持っていなかった。

「君は頭がいい。私の気を引く方法を知っている。私の瞬の話を持ち出せば、瞬の話をしたくて仕様のない私は君を追い返さないと踏んだわけだ」
「え? 見当違いだった?」
「いや、目のつけどころは実にいい。的確だ」
それが俺を不快にするがな。
「だが、君は私の瞬には似ていない。私の瞬が 人にコンタクトをとる理由はいつも、相手の気持ちを思い遣ってのことだった。私の瞬は、自分の興味本位で死んだ者に言及することなど決してしない」
「あなたの瞬は、優しくて、綺麗で、強くて、あなたを守るために死んだ。あなたの母親と同じように。忘れられないわけだ」
このくそガキ!
「何が言いたい」
エリスならともかく絵梨衣では、この子に太刀打ちはできないだろう。
言うつもりのないことを、うまく言わされたな。
「死んだ人のことなんか忘れた方がいいよって」
「……」

不愉快な子供を、腹の中では口汚く ののしりつつ、表向きは 物ごとに動じない大人の振りをしていた俺の表と裏が、一瞬 全く同じものになる。
軽い驚きと、苦い笑い。
実際、俺は目許に皮肉な笑みを刻んだ。
「似ていないのに似ている――。絵梨衣がなぜそう言ったのか、わかるような気がする」
なるほど、女には女の――いや、人間の育成に携わる者には、そういう者特有の嗅覚と感性があるようだ。
「私が寂しそうに見えた。死んだ者のことは忘れて生きている者を見ろ。瞬もそう言うだろう。その結論に至る過程は君とは全く異なるだろうが」
「あなたの瞬が言いそうなことを、もう一つ言ってあげようか」
「どうぞ」
「今 あなたの目の前にいる生意気な子供は、ひとりぽっちのかわいそうな子だから優しくしてあげて」
ああ、このくそガキ!
くそガキのくせに、俺の瞬を見透かすな!
「瞬ならそう言うだろう」
「じゃ、小手毬を見に行こう」
「小手毬の花が好きなのか」
「まさか。僕は薔薇が好きだよ」
自分が棘だらけの薔薇だから?
俺は妙に納得して、くそガキに付き合うことにした。


もともと明確な予定のない帰国。
しかし、予定通りでもある花畑観賞。
偽の瞬が俺を連れていったのは、俺が子供の頃に瞬と行ったことのある小さな公園だった。
そうだ。
ここでも俺は、瞬を花にとられないように瞬の手を握って、小さな花たちが集まって作る幾つもの白い手毬を見た。
『綺麗で可愛いね』
瞬と同じ感想を、瞬に対して抱きながら。


小手毬の花を堪能し、生意気なガキを星の子学園に送っていったら、絵梨衣が、偽の瞬を伴って学園を訪れた俺に謝罪してきた。
生意気な子供が 大人に対してどういう振舞いをしたのか、彼女は聞かずともわかったらしい。
俺に謝罪の言葉を、少なくとも5回は繰り返してから、絵梨衣は思いがけないことを俺に語り出した。
「瞬くんは誰かに似ていると、ずっと思っていたんです。あの子がここに引き取られた時からずっと――もう9年も前から」
彼女は そう言い出したんだ。
『誰か』というのは俺の瞬なんだろうと察し、俺は至極不愉快な気分になったが。

「最初は気付かなかったんです。名前まで同じなのに。誰かに似ている、どこかで会ったことがあるとは思ったんですけど、星の子学園に引き取られてくる子供たちは誰も、何かしら不幸不遇を背負っていて、みんな どこか似たところがあるから、その中の誰かに感じが似ているのだろうと思っていたんです。瞬さんに似ているんだって気付いたのは、呆れないでくださいね。昨日 氷河さんと一緒にいる瞬くんを見た時です」
どこが、何が似ているというんだ。
あの生意気な子供と俺の瞬が!
もちろん俺は自分の憤りを態度には出さなかったが、俺が彼女の発言を喜ばないことは、絵梨衣は最初からわかっていたようだった。
そして、俺の瞬と偽の瞬の似ていない点も、彼女はちゃんと認識していた。

「瞬さんは、控えめで優しくて温かくて、その優しい感触で人を包み、いつのまにか 人の心を惹きつけている人だった。瞬くんは、顔立ちは整ってるけど、何ていうか――瞬さんが身にまとっていた優しい緊張感のようなものがなくて 刺々しい。それはわかっているんですけど……」
瞬を実際に知っている人間が語る瞬の話は心地良い。
絵梨衣の言葉で、瞬が作り出す優しい空気の感触を思い出し、俺は目を細めた。
が。
絵梨衣のおかげで機嫌を直しかけていた俺に、
「あの……瞬くんに優しくしてあげてください。あの子は かわいそうな子なんです」
そう言って、絵梨衣が自ら冷たい水をぶっかけてくる。

どこが かわいそうなんだか。
本当に かわいそうな・・・・・・境遇にある子供なのだとしても、あの子は そのかわいそうな境遇を盾にして、いや、むしろ逆手にとって、他人を自分の思い通りに動かそうとする悪知恵の持ち主だ。
悪いが、とても同情する気にはなれない。






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