「何かあったの? どこからか異様な小宇宙が流れてきて、庭の花たちが しおれたり、逆に 蕾が急に開いたりして 落ち着かないんだけど」
地上で最も清らかな魂と 冥界三巨頭が仕えるにふさわしい価値の持ち主は、三巨頭とは対照的に、全く勿体ぶった様子がなく、いかにも親しみやすい様子で、不思議そうな目をしながらラウンジに入ってきた。

「瞬、来るなっ!」
「アンドロメダ様」
氷河の怒声が、三人の男たちの主君を呼ばわる声――というより、彼等の迅速な行動――によって打ち消される。
ラウンジのドアの前に瞬が姿を現わすと、その御前に素早く移動した三巨頭は、その場に一斉に跪き、瞬の前に そのこうべを垂れた。

「あなた様のしもべたちが、あなた様を慕って、この世界にやってまいりました。何でもご命令ください」
「本日ただ今より、もし敵の襲来があっても、アンドロメダ様が直接戦う必要はございません。我々が命に代えても、お守りいたします」
「お許しいただけるのでしたら、手始めに、大した力もないくせに先ほどから 我等をアンドロメダ様から遠ざけようと画策する気配の見てとれる白鳥座の聖闘士を、この天貴星グリフォンのミーノスが葬り去って ご覧にいれましょう」
「え……?」

冥闘衣着用ならともかくスーツを着た男が三人、一見したところは細く非力で頼りなげな美少女の前に跪いている図というのは、異様極まりない光景である。
「冥界の……三巨頭? どうして、あなたたちがここに?」
以前 冥府の王ハーデスだった者が、その威厳も尊大もなく、むしろ純朴可憐という形容こそが似つかわしい仕草で、小さく首をかしげる。
これは どう見ても、三巨頭が望む主君の振舞いではない。
この可愛らしさに幻滅し、邪魔者たちが ここから退散してくれたらどんなにいいか――という氷河の希望は、だが、残念ながら叶えられることはなかった。
三巨頭が求めているものは、彼等が仕える主君。
その主君が絶大な力を持つ実力者でも、庇護欲をそそる可憐な花でも、そんなことは彼等にとって大した問題ではないらしかった。

「あの……とにかく、そんな格好で床に膝をつくのはやめて、ソファの方に――」
でかい図体の男三人に跪かれているのは、瞬には体裁の悪いことでしかなかったらしい。
瞬は三人に椅子を勧めたのだが、彼等は『そんな畏れ多いことはできない』と言って、瞬の思い遣りを固辞した。
『お願いですから』と懇願され、瞬の前に跪いていることだけはやめたが、彼等は勧められた椅子に腰をおろそうとはしなかった。
逆に彼等は、瞬にこそソファに座るよう求めてきた。
おかげで瞬は、5、60センチは高いところから三人の男に見下ろされる形で、彼等の就職志望動機を聞かされる羽目に陥ったのである。

突然の想定外の事態に 瞬は驚き、少々怖気おじけてさえいるように、氷河の目には見えた。
これなら三巨頭の就職活動に合格通知が出るはずはないと、氷河は たかをくくっていたのだが、なにしろ恋路というものは ままならないもの。
瞬は、控えめで大人しく心優しい人間ではあるが、可憐なだけの非力な花ではないことを、氷河はすっかり失念していたのだ。
三巨頭から事情を聞いた瞬が、最初に彼等に下したのは、
「じゃあ、もし、僕が、地上の平和と安寧を守るために僕たちと協力して戦ってくださいと、あなた方にお願いしたら、あなた方は その通りにしてくださるんですか?」
という質問だった。
「もちろん、ご命令に従います」
そして、三巨頭の即答を聞いた瞬は、
「じゃあ、いいんじゃないかな。でも、アンドロメダ様はやめて。とっても変な感じがするから。瞬と呼んでください」
と答えて、三巨頭の要請を いとも気軽に受諾してしまったのだ。

「いかなる条件もつけずに、我々の過去を不問にしてくださるとは、なんと寛大な」
「瞬! わかっているのか! こいつらは俺たちの敵だった奴等なんだぞ! それも、よりにもよって あのハーデスの配下にいた、危険極まりない男たちなんだ!」
瞬との やりとりを主にミーノスが受け持っているのは、どうやら他の二人が敬語を不得手にしているかららしい。
それはさておき、敵だった男たちに与えた瞬の気軽な快諾は、氷河を大いに慌てさせることになった。
当然だろう。
彼等はアテナとアテナの聖闘士たちの最大の敵ハーデスの手足となって働いていた者たち。
その上、アテナの聖闘士に敗北を喫するという経験を持った者たちなのだ。
アテナの聖闘士を憎み恨みこそすれ、彼等がアテナの聖闘士たちに好意を抱いていることは まず考えられない。
へたに強大な力を持っている分、彼等はアテナの聖闘士たちにとって危険すぎるほど危険な存在だった。
瞬は、そう思ってはいないようだったが。

「でも、すごい力を感じるよ。この人たちが僕たちの仲間になってくれたら、それはアテナのためになることだし、地上の平和のためになることでもあるし――」
「なら聖域に行けばいいだろう! このGW、俺は邪魔者を極力排斥して、ここでおまえと愛を育む予定なんだ。こんな奴等が おまえの周りをうろうろしていたら、俺が苦労して 星矢と紫龍を太平洋上に追っ払っても、何にもならないじゃないか!」
過去に犯した過ちを悔い改心しているのなら、それが自分の命を奪おうとした敵でも快く許し受け入れる。
それは実に瞬らしい判断と決定だと、氷河とて思う。
瞬が許すと言っているのだ。
普段の氷河なら、かつての敵を心から信じることはしないにしても、瞬の意思決定を尊重していただろう。
今が GWでさえなかったら。
しかし、実にタイミングの悪いことに、今の日本は全国的にGWなのだ。

「愛……?」
GWが、日本人にとってどういうものであるかを知らず、ましてや氷河にとって それがどれほど重要な日々であるのかなど知るよしもないミーノスは、氷河の発言に 思い切り不快なものを感じることになったらしい。
彼は右手で その無意味に長い前髪を無造作にかき上げ、それまで半ば以上が髪に隠されていた顔を露わにした。
重苦しい前髪のカーテンが取り除かれた そこに、濃い不審の色をたたえた二つの瞳が現れる。

「先ほどから貴様から邪悪な小宇宙を感じていたのだが……私の気のせいではなかったのか」
「へ……?」
「ああ、それは俺も感じていたぞ。やたらと姑息で、何かを焦っているような――俺の酒をくすねようとして、俺をさっさと戦場に行かせようとする下っ端冥闘士のような小宇宙だ」
「う……」
「うむ。これは何というか――せこい悪巧みを企んでいる下衆が口八丁手八丁で 相手を煙に巻こうとしているような、小ずるい小宇宙だ」
「な……何を根拠にそんな――」
氷河の苛立ちと焦慮は、ミーノスのみならずラダマンティスやアイアコスにも気取られていたらしい。
氷河を見やる三人の男たちの目には、ありありと不審の色が漂っていた。

「キグナス、貴様、アンドロメダ様――いや、瞬様に害を為そうとしているのではないか」
「な……何を言っているんだ! 俺が瞬に害を為すだと !? 俺が瞬のためにならないことをするわけがないじゃないか。瞬の前で、誤解を生むようなことを言うな!」
やはり、この男たちは危険な邪魔者である。
何が何でも、どんな手段を用いても、この男たちが瞬にまとわりついている状況の実現だけは阻止しなければならない。
どうにかして この邪魔者たちを、太平洋上は無理でも、せめて“この世”から追い払う術はないかと、氷河が考え始めた時だった。
彼が“危険な邪魔者”ではなく“ただの邪魔者”と認識していた星矢が、
「あーあ、ばれちまったぞ。どーすんだよ、おまえ」
と、いらぬことを言ってくれたのは。

「ばれた? 貴様は、本当にそんな企みを抱いているのか !? アテナの聖闘士は、愛がどうの友情がこうのと綺麗事を並べ立てておいて、その実、本心では浅ましい企みを巡らせている下衆だったのか」
三巨頭が氷河を見る目は、不審と不信を通り越し、既に軽蔑の色を帯び始めている。
「だから、それは誤解だと言っとるだろーが!」
三巨頭に疑われようが軽蔑されようが、そんなことはどうでもいいが、瞬が白鳥座の聖闘士に疑心や警戒心を抱くようなことになったら、それは非常に まずい事態、大いなる不都合である。
氷河は大声で がなりたて、三巨頭の誤解(?)を否定したのだが、彼等は氷河の言葉を聞いてはいなかった。
三人の客人を案内してきた途端、愉快な陰険漫才が始まってしまったせいで退室のタイミングを逸し ラウンジのドアの脇に立っていたメイドに、ラダマンティスが まるでこの屋敷の主人のような顔で命じる。

「そこの下女。この屋敷の中に我々の部屋を用意しろ。我々は瞬様の お手を煩わすことのないよう、他に居を構え、瞬様のご命令があった時、瞬様の御身に危険が迫った時にのみ、こちらに駆けつけるつまりでいたのだが、どうやら この屋敷には獅子身中の虫がいるようだ。我々は一瞬たりとも瞬様から目を離さず、瞬様に まとわりつく害虫駆除に務めなければならん」
「勝手に そんなことを決めるな! ここを誰の家だと思っている! 貴様等は、自分たちが何者だったか忘れているのか !? 俺なんかより貴様等が瞬の側にいる方が よっぽど危険じゃないか!」
無駄に強大な力を持った男たちに住み込みで害虫駆除など始められてしまっては たまらない。
若い男というだけでも鬱陶しいのに、一度はアテナの聖闘士たちを葬ろうとした者たち、しかも、瞬の身体を操って人類粛清を企んだハーデスにくみしていた最強の冥闘士たち。
今がGWだからではなく、今がいつでも、彼等は二重三重の意味で危険極まりない邪魔者たちだった。

切羽詰まった氷河は、瞬を危険から遠ざけるため、青銅聖衣を神聖衣にする勢いで その小宇宙を燃やし始めたのである。
正確には、“燃やし始めようとした”。
瞬の身の安全を図るため爆発的燃焼に至るはずだった彼の小宇宙は、だが、燃焼以前に、点火そのものを阻止されてしまったのである。
他でもない、氷河が その身を守ろうとした瞬その人によって。
「氷河、屋内で小宇宙を燃やすなんて、馬鹿なことしないで。この人たち、そんなに危険なようには見えないよ。確かに すごい力は感じるけど。それにもし、彼等が本当に危険な人たちなのなら なおさら、僕たちの目の届くところにいてもらった方がいいでしょう。彼等が本当に危険な人たちなのなら、彼等をここから追い出すのは、虎を野に放つようなものだもの」

「実に賢明だ。さすがは我等が王に選んだ お方」
アイアコスが そう言って、瞬の言葉に感じ入ったように深く頷く。
「俺たちが敵でも味方でも、そうするのが最も安全な対応策だろうな」
「確かに一理ある」
「一理どころか二理も三理もあるぜ」
人の好い瞬だけならともかく、紫龍や星矢までが 冥界三巨頭の城戸邸住み込み害虫駆除作業に賛同する気配を見せる。
しかし氷河は彼等の意見をれるわけにはいかなかった。
彼等の目的が、瞬にまとわりつく害虫の駆除である限り、絶対に。

味方を失い、孤立無援の状態に追い込まれた氷河は、結局 正攻法を諦め、搦め手から 三巨頭撃退を試みることにしたのである。
すなわち、
「客人が増えたら、このGWに休暇を与えるはずだった者たちに休暇を与えられなくなる。この時季、日本人なら誰でも、休暇をとって観光地に出掛け、無意味に疲れたいものだろう」
という論法で。
“GWの日本人”なるものに対して氷河が抱いているイメージは 随分と偏っていた。
GWの日本人の誰もが観光地に出掛けて無意味に疲れることを望んでいるとは限らない。
少なくとも、その場に居合わせたメイドは そうではないようだった。

「あ、私たちは――少なくとも、私は構いません。なんだか面白いことになりそうだし、こんな貴重なイベントは誰も見逃したくないでしょう。きっと、みんな、お休みなんか欲しがらないと思いますわ。下女なんて呼ばれたの、生まれて初めてで、なんだかとっても新鮮です!」
「なに……?」
『休暇はいらない』と言われたことより、『下女呼ばわりが新鮮』という訳のわからない彼女の理屈にこそ、氷河は顔を歪めることになった。
そのメイドが味方になると踏んだのか、ミーノスが突然、にこやかな笑みを彼女に向ける。
「僚友が無礼なことを言って、大変申し訳ない。お女中、気を悪くせぬように」
「きゃーっ !! 」
彼女はいったい何が嬉しいのか、彼女はいったい何を喜んでいるのか――それが氷河には全くわからなかった。
氷河に認識できたのはただ、ラダマンティスとミーノスの差別用語連発に、彼女がすっかり舞い上がってしまっているという事実だけだった。






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