『命に代えても瞬を守る』イコール『他の者には殺させない』だった。
三巨頭が瞬の許にやってきたのは もちろん、彼等から、彼等の仕える主、その地位、闘士としての誇り、生きて存在する理由、戦う目的――その他 ありとあらゆるものを奪い、代わりに屈辱を与えてくれた人間に、自分たちの手で同じ思いを味わわせてやるためだった。
そのために、憎い仇である瞬に忠誠を誓うという偽りを為し、片時も瞬から目を離さずにいたのである。
復讐が、彼等の目的だった。
それが、ハーデスのための復讐なのか、自分自身のための復讐なのかは考えたこともなかったが。
ハーデスが消え、冥界が崩壊し、己れの命だけが残された状態で、世界に投げ出されていることに気付いた彼等は、自分の生に、他のいかなる目的も見い出すことができなかったのである。

復讐のターゲットから目を離さぬために、ラウンジを出たところでアテナの聖闘士たちの動向を窺っていた冥闘士たちは、さきほどから三人が三人とも 重い空気の中で沈黙していた。
『僕は彼等を信じてるよ』
瞬の その言葉が、彼等に声と言葉を失わせてしまっていた。

「空しいことかもしれないな、確かに。アンドロメダを倒しても、俺たちは何も取り戻すことはできん」
重苦しい沈黙から 最初に脱出を試みたのは、天猛星ワイバーンのラダマンティスだった。
「何を今更。そんなことは最初から わかっていたことではないか」
ハーデスの偽りの姿を担っていた者、かつては敵だった者に寄せられる信頼に、いとも たやすく心を動かされてしまったらしい仲間を、ミーノスが責める。
以前は冥界最強を誇っていた男たちを 己れの忠実な下僕と信じさせ、油断を誘い、その上で裏切り、瞬を倒す。
信じていた者に裏切られ傷付き死んでいく“仇”の姿は、“仇”によって すべてを失った男たちに勝利の快感を与え、一度は粉々に打ち砕かれたプライドを再生してくれるだろう。
そうなることを期待して、彼等は瞬の許にやってきたのだ。
今更 復讐の空しさなど語られても、そう簡単に復讐の決意を翻すことなどできるわけがない。
それがミーノスの考えだった。

そんなミーノスの融通の利かなさに閉口しているように、アイアコスが無意識に、だが わざとらしく、長い嘆息を洩らす。
「あの子は我々を信じてくれている。我々に真の姿を見せようとせず、実は我々を信じてなどいなかったハーデス様とは違って」
「俺たちが信じていたのも、ハーデス様の持つ強大な力であって、ハーデス様自身ではなかったな」
「それはそうだが、しかし――」
仲間二人の造反に合って、冷静沈着を売りにしている冥界の裁判官は、僅かに たじろぐことになったのである。
冥闘士随一の神速と瞬発力を誇るアイアコスが、すかさず そこに新たな攻撃を畳み掛ける。

「我々は地上を汚し尽くしている醜悪な人間たちを滅ぼすことを是として、ハーデス様の冥闘士として戦っていた。だが、アンドロメダは醜悪な人間ではない。そもそも我々が人類を滅ぼすことに、正義はあったのか?」
「当然だ。大多数の人間は醜悪だ」
「そのことまでは否定しないが、俺は、多くの醜悪な人間などどうでもいい。だが、俺を信じてくれる たった一人の清らかな人間をどうでもいいと思うことはできない。だいいち、ミーノス。おまえ、俺たちが復讐を成し遂げたあとのことを考えているのか」
「それは――」
実のところ、復讐成ったあとのことを、ミーノスは考えていなかった――考えまいとしていた。
漠然と、復讐成ったあとにあるのは死だろうと感じていたから。
その先に、死ではない何か別の物が存在し得るとは、ミーノスには思えなかったのだ。
「復讐を果たして死ぬつもりならな、アンドロメダの言う通り、俺たちがしようとしていることは間違いなく空しいことだ。何も生まない」
「む……」
ミーノスが仲間たちへの反駁に及ばなかったのは、彼等の言うことが真実だったから――である。
実際、彼等が成し遂げようとしている復讐は、復讐の中でも最も空しいものだったろう。
彼等を信じてくれていなかった者のために、彼等を信じてくれている人の命を奪う。
これほど空しい復讐もない。

「アンドロメダは――瞬様には、ハーデス様と違って圧倒的な威厳も高貴の香りも備えてはいない。全く主君向きではない。だが、愛する価値はある人間だ。もしかしたら、その価値を有する地上でただ一人の人間かもしれん」
「何と言っても、あのハーデス様が選んだ お方だからな」
「……」
ラダマンティスとアイアコスは、既に復讐の意思を放棄してしまっている。
どういう理屈で説得しても、彼等は もはや空しい復讐のために己れの命を懸けるようなことはしないだろう。
それがわかっても――だが、ミーノスは、軽々しく仲間たちに同調することはできなかったのである。
仕える主、その地位、闘士としての誇り、生きて存在する理由、戦う目的――その他 ありとあらゆるものを奪った人間に復讐すると、いったん男が決意したことを、『その仇が自分たちを信じてくれているから』などという理由で放棄することが、高潔なこととは思えなかったから。

そんなミーノスの心を変えたのは、ラダマンティスがにやにやと少々下卑た笑みを浮かべて告げた、
「おまえ、あの糞生意気なキグナスが気に入らんのだろう? あの小僧からアンドロメダを奪ってやったら、おまえはさぞかし爽快な気分を味わうことができるぞ」
という言葉のせいだった。
「……なるほど。確かに、そうすることができれば、力で数段劣るくせに私を倒した気になっている あの糞生意気な小僧の泣きっ面が拝めるな」
ミーノスが本当に復讐したかった相手は、瞬ではなく氷河だったのかもしれない。
ラダマンティスの語る素晴らしい意趣返しに、俄然 乗り気になったミーノスは、にやりと北叟笑み、そして おもむろに長い前髪を右の手でかき上げて、自慢の美貌を露わにした。






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