シュンに嫌われてはいないと思う。 分をわきまえない捕虜に好意を抱いていないなら、シュンは無礼な捕虜が シュンに触れようとしかけた時点で、ヒョウガに抱きしめられることも口付けられることも回避することができたのだから。 ツェーリング家の名と立場にこだわることの無益を理を尽くして説き、シュンに恋する男の切なさと苦悩を シュンの情に訴える。 そうすれば、もともと争いを嫌っているシュンのこと。 きっと生まれや血から解放され、自由を選んでくれるに違いない。 ツェーリング家の存続にこだわるなら、ツェーリング家の順当な跡継ぎであるシュンの兄を この村に残していけばいい。 山賊を続けるなり、やめるなり、その判断はイッキがすればいい。 シュンは、危険な山賊行為ともツェーリング家ともかかわりのないところに連れていく。 都に連れていっても、たとえ大公宮に連れていっても、シュンを山賊の頭目と思う者はいないだろう。 シュンは山賊たちともツェーリング家とも無関係な ただのシュンになって、その恋人と共に新しい人生を生き始めるのだ――。 シュンに嫌われていないと確信できることが、ヒョウガの恋と未来に希望を運んできていた。 シュンのためになら、多少 不本意でも 他人の評価を得やすい仕事に励み、適当に出世を計るくらいのことをしてやってもいいと、ヒョウガは以前の彼なら考えもしなかっただろうことさえ考え始めていたのである。 しかし――ヒョウガの薔薇色の計画を台無しにする事件が起こった。 それも、ヒョウガが二人の薔薇色の人生計画を練り始めた その夜のうちに。 ヒョウガの叔父は、首尾よく山賊の村に入り込んだ甥が外部との連絡を取れるように、囮の補給部隊とヒョウガに見張りをつけていたらしい。 おそらく、その見張りの報告を受けて――その日の深更、シュンの館のヒョウガの部屋に忍び込んできたのは、ヒョウガの叔父の腹心――ヒョウガとも知らぬ仲ではないアイザックという名の隻眼の男だった。 そのアイザックが、この村の山賊たちを討伐するための兵がフライブルクの町に集結しているという情報を、ヒョウガの許に運んできたのである。 「軍を動かしたのかっ !? 叔父貴が !? それとも大公が !? 」 「軍ではない。一時的に軍籍を抜いた警官隊だ。大公は、この期に及んでもまだ、この討伐は軍事行為ではないと言い張りたいんだろう。そのために 俺も一時的に軍籍を抜かれ、今は無位無官だ。数は2000。フライブルク郊外に結集している。命令したのは大公だ。さすがの大臣閣下も大公の命令には逆らえなかったようで――。……密告者があったんだ。大公の弾圧のために家財を手放さなければならなくなったフライブルクの市民の一人が、その返還を求める代償として、この村の場所を裁判所に売った」 「2000……」 兵力の差は圧倒的だが、この村の200余りの統率のとれた山賊たち、優れた指揮官、そして土地勘の優越があれば、それは覆すことの不可能な兵力差ではなかった。 だが、この村には300人近い非戦闘員がいる。 女性、子供、老人がいるのだ。 村から離れた山中での戦いならともかく、村を襲われたのでは シュンたちに勝ち目はなかった。 「おまえに余計な先入観を植えつけないために、大臣閣下は あえて何も言わなかったようだが――閣下はツェーリング家に恩がある。ナポレオン戦争末期に、まだ若く経験も浅かった閣下の才能を見込んで大公国軍の将軍に任命してくれたのは、当時まだバーデン大公だった失脚前のツェーリング家の先々代の当主だったんだ。ツェーリング家の者の命を奪うようなことはしたくないと、閣下は 仰せだ。山賊たちには 投降を勧めろ。戦っても山賊たちに勝ち目はない。俺が指揮官なんだからな。投降した方が、村人の犠牲を出さずに済む。政治的な画策をして ツェーリング家の方たちを生き延びさせる可能性を模索することもできるだろう。総攻撃は明日正午だ。これは変えられん。それまでに、おまえのお姫様と お姫様のお目付け役の兄貴を説得しろ」 「……」 いったい いつのまに彼はそこまでの情報を掴んでいたのか。 おそらく すべては あの叔父の指示なのだろうが、その叔父も、現在の主君であるバーデン大公と 恩のあるツェーリング家の間で つらい立場に置かれているらしい。 ヒョウガ個人としては、シュンの兄がツェーリング家の当主として軍に投降し、戦闘開始を阻止してくれることを望まずにはいられなかったが、シュンはそんな事態を甘受できまい。 攻撃開始までに説得しろとアイザックは言っていたが、そもそも あの兄弟をどう説得すればいいのかがわからない。 今、ヒョウガが自信をもって言えることは、自分にもシュンにも時間がないという、その一事のみだった。 ヒョウガの叔父の腹心であるアイザックが 討伐隊の指揮官である彼に戻るために ヒョウガの前から消え去ると、ヒョウガは 取るものもとりあえず 自室を出た。 まだ夜も明けていない時刻だったが、とにかく二人には時間がない。 この事態を一刻も早くシュンに知らせなければならない。 緊急事態の勃発を知らせること以外に何もできることがない自分に焦り 苛立ちながら、ヒョウガは部屋から廊下に出た。 そして、彼は、そこで 悪鬼のような目をしたシュンの兄に出会ってしまったのである。 |