その夜。
約束の場に氷河がやってきたのは、約束の時刻を30分以上過ぎてからだった。
「遅いぞ、氷河」
太陽を時計代わりにしているような場所で 聖闘士になるための修行を積んできた男が、厳格に時間を守ることを期待してはいなかったが、己れの運命が決する(かもしれない)この重大時において30分の遅刻は大きすぎるロスである。
その上、遅刻の理由が、
「瞬を寝かしつけるのに手間取った。明日のくじが楽しみで眠れないとか、遠足前夜の子供みたいなことを言って、なかなか その気になってくれなくて」
――なのだから、ふざけている。
死のような沈黙の中、極秘かつ迅速に成し遂げられなければならない仕事が控えていなかったなら、紫龍は その場で氷河に教育的指導をかましていたかもしれなかった。

「事情を話して、解放してもらえばよかったじゃないか。おまえの苦境を知れば、瞬も無理におまえを引きとめたりはせんだろう」
「そうはいかん。瞬は嘘をつけない子だからな。くじへの細工のことを知ってしまえば、必ず それを顔に出す。そうなれば 沙織さんにばれること必至だ。頑張って失神させてきた」
何を どう頑張ってきたのか、聞く気にもなれない。
紫龍は、氷河の遅刻とその経緯については不問に処し、自らの為すべき仕事に取りかかることにした。


「くじは」
「あれだろう」
アテナの玉座の脇にある小祭壇の上に、見慣れぬ鉛製の箱が置いてある。
どうやら紫龍は、約束通りの時刻に約束の場所にやってきて、くじの入っている箱のありかを察し、その箱に鍵がかかっていないにもかかわらず、一人で先に中身を確認することもなく、律儀に陰謀の相方の到着を待っていたらしい。
致し方のない(?)事情があったとはいえ、この律儀誠実な男との約束をたがえたことを、氷河は少々後悔したのである。

「沙織さんが自分で作ると言っていたから、紙縒こより か封筒を使ったものか、せいぜい三角くじだろう。新井式回転抽選機ということはあるまい」
「何だ、その新井式回転抽選機というのは」
「別名、ガラガラくじ。町内会の抽選会でお馴染みのやつだ」
「相変わらず、詰まらんことを知っている奴だな」

聖域の中で最も神聖な場所とはいえ、そこには 監視カメラやセンサーシステムが設置されているわけではない。
それは敵が小宇宙を燃やせば すぐに察知できるからなのだが、そういう聖域の防犯体制を熟知している氷河と紫龍は、無意識のうちに小宇宙を燃やすことにならないよう注意することで、難なく目的のものを手にすることができたのだった。

いかにも それらしい鉛の箱の中を、持参の小さなペンライトで照らす。
その箱の中にあったのは、一枚の紙片。
縦に10本の線、それら縦線をつなぐ幾本もの横線が描かれた、B4サイズの一枚の紙片だった。
つまり――俗に言う“あみだくじ”である。

「さ……沙織さんは正気なのか。あの人は 正気で、本気で、聖域を守護する黄金聖闘士を、こんなもので決定しようとしているのか」
女神アテナの非常識かつ突飛な行動には慣れていたつもりの氷河が、あまりにお手軽なアテナのお手製くじに 打ちのめされる。
いったい沙織は、地上の平和の砦でもある この聖域の防御防衛について、どういう考えでいるのか。
氷河には、沙織の考えが全く理解できなかった。

「いや、しかし、これは俺たちには好都合だ。細工をする必要がなくなる。どれを選べばいいか憶えておけばいいんだ」
「あ……ああ、そうか、そうだな」
いっそ ぐれてしまいたいのは、紫龍も同じなのだろう。
彼も懸命に、アテナの“わけのわからなさ”と戦っている。
前向きで(?)建設的な(?)紫龍のその言葉に力づけられて、氷河は かろうじて自らを保ち続けることができたのだった。

「うむ。水瓶座には、左から3番目を選べば辿り着ける。あとは、蠍座が同じく左から5番目か」
「天秤座には、右から4番目。山羊座が左端」
「よし」
これで、白鳥座の聖闘士と龍座の聖闘士は、師の恨み言や説教からは逃れることができるだろう。
聖域の防御防衛問題は、直前に迫った苦難危険を無事に回避したのち、ゆっくりと対策を練ればいい。
そう考えて、氷河と紫龍は その場は 速やかに解散したのである。
9割9分9厘、直前に迫った苦難危険は これで無事に回避できると信じて。






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