東に 凶悪な怪物がいれば、行って退治し、西に 人々を惑わせ混乱を招く魔女がいれば、行って魔力の元を奪い、南に 乱暴な巨人がいれば、行って二度と悪さができないように武器を取り上げ、北に 毒水の湧く泉があれば、行って毒の源を絶つ。 数々の英雄的行為は、結局のところ、彼の恋の成就に あまり関係はなかったのだが、とにもかくにも艱難辛苦を乗り越えて、氷河王子が、豊かな南の国エティオピアの瞬王子と心(だけではないが)を通い合わせることができるようになって数ヶ月。 氷河王子は、北の大国ヒュペルボレイオスの王子という高い身分にありながら、どこぞの間男か こそ泥のように 毎晩 こそこそと瞬王子の部屋に通うことを繰り返していた。 氷河王子は、そもそもエティオピア王宮に出入り禁止の身。 その上、瞬王子の部屋の扉の前では、瞬王子のためなら命も惜しくないという忠義の巨大な見張りが頑張っている。 瞬王子への忠義ひとすじの見張りを、まさか恋路の邪魔だからという理由で叩きのめすわけにはいかない。 おかげで、氷河王子は、愛する瞬王子と相まみえるために、夜陰に紛れて王宮の庭に忍び込み、更に ベランダに取りつくという経路を採るしかなかったのである。 それは まさに、どこぞの間男か こそ泥が為す行為。 たとえ小国であっても 一国の王子という高い身分にある者であれば、普通は、そんな屈辱には ただの一度も耐えられるものではなかっただろう。 幸い、氷河王子は普通の王子ではなく 世界一の馬鹿王子だったので、その屈辱的行為を 既に100回以上は耐えてのけていたが。 とはいえ、それは、あくまで氷河王子限定の特殊な事情。 本来は それは、一国の王子には耐え難い恥辱にして屈辱のはずだった。 しかし、氷河王子には、どうしても そうしなければならない深く複雑な事情があったのである。 なにしろ、氷河王子の愛する瞬王子の住まいであるエティオピア王宮には、氷河王子の天敵が二人もいて(正確には、一人と一頭いて)、それが両方とも 一筋縄ではいかない者たちだったため、氷河王子は正々堂々と門を通り抜け、侍従に瞬王子の部屋のドアを開けさせて 愛する瞬王子を その腕に抱く――というわけにはいかなかったのだ。 ちなみに、氷河王子の天敵その1は、瞬王子の実兄一輝。 現エティオピア国王。 王位に就くまでは英雄としての呼び名をほしいままにしており、氷河王子も彼には普通に一目置いていた。 だが、それも、今となっては遠い昔、氷河王子が瞬王子への恋に落ちる前の話。 氷河王子は未だに信じられずにいるのだが、彼は一応 人類の端くれにある生き物であるらしく、天にも地にもたった一人の肉親である瞬王子を、目の中に入れても痛くないほど可愛がっている。 オトコの分際で瞬王子に愛されるという幸運に恵まれた氷河王子を、蛇蝎を愛でていた方が はるかにましと言わんばかりの勢いで嫌っていて、氷河王子のエティオピア王宮への出入りを厳に禁じたのも、彼である。 氷河王子の天敵その2は、以前 ネメアの谷で人間や家畜を襲い 周辺の人々に恐れられていた巨大かつ凶悪な雄獅子。 名はシルビアン。 愛称はシルビーちゃん。 体長は瞬王子の3倍、体積は瞬王子の10倍、体重は瞬王子の20倍。 怪物退治に赴いた瞬王子の可愛らしさ清らかさに手もなく屈し、今では瞬王子のペットになり下がっている。 ケダモノの分際で瞬王子に懸想しているらしく、氷河王子が瞬王子に近付くと凶暴な野生の血が目を覚ますのか、すぐに牙を剥いて氷河王子を追い払おうとする。 ――恋に障害はつきものである。 まして、当代屈指の英雄と言われている氷河王子のこと。 それがどれほど強く大きく憎らしい障害でも、氷河王子は、そんなものは身体を張って蹴散らすつもりだったし、自分にはそうするだけの力があると自負してもいた。 しかし、大きな問題が一つ。 問題というのは他でもない。 氷河王子が恋した瞬王子は、氷河王子の天敵たちを心から愛していたのだ。 そのため 氷河王子は彼の天敵たちを退治することはおろか、蹴散らすこともできないまま、今に至っていた。 しかしである。 相思相愛、熱烈に恋し合っている二人の恋人同士。 一輝国王が厳しい箝口令を布いているため、その事実が公の場で語られることはなかったが、エティオピア王宮内では 知らぬ者とてない、いわば公然の秘密である二人の恋。 なぜ 自分が毎晩こそこそと泥棒猫のように人目を忍んで瞬王子の許に通わなければならないのか。 そこのところが、氷河王子には 今ひとつ合点がいかなかったのである。 とはいえ、瞬王子と愛し合えるのなら、氷河王子自身は それで さほどの不満もなかった。 だが、瞬王子は、そんな現状をどう思っているのか。 地上で最も清らかな人間と、神も認め、人も認め、花の姿を褒める時には『瞬王子のように美しい』というのがエティオピア国内での恒例にして定石、最上級の讃辞。 そんな瞬王子が、日中 堂々と城の正門から訪問できないような男と、人目を忍ぶ恋を耐えているのである。 つまり、日陰の身に甘んじているのである。 それもこれも、瞬王子の恋した相手が 瞬王子の恋人として ふさわしい人間ではなかったから。 恋してはならぬ人に恋し、恋されてしまったために、明るい春の陽射しこそが何より似つかわしい瞬王子が、夜の闇の中ででしか語り合えない恋の中に身を置いているのだ。 それもこれも、瞬王子に恋された男が、どうやら世界一の馬鹿王子で(本当に世界一なのかどうか、氷河王子自身は確かめたことはなかったのだが、一輝国王は そう信じているようだった)、瞬王子の兄に二人の仲を認めてもらえないから。 最愛の弟を、いつまでも清らかなまま いつまでも自分の手許に置いておきたい一輝国王の気持ちは わからないではないし、誰よりも自分が 瞬王子の優しさ清らかさを 身命を賭して守りたいシルビアンの衷心には 心底から同調もするが、二人は恋し合っているのだ。 恋は、滝壺に向かって落下を開始した水のようなもの。 決して、後戻りはできない。 瞬王子が 笑顔で その両手を自分に差しのべてくれる限り、氷河王子は彼の天敵たちの望みを叶えてやることはできそうになかった。 天敵たちに 自分が瞬王子の恋人として認められることが不可能だということは わかっていた。 が、ならばせめて天敵たち以外の者たちには、二人が熱烈に恋し合う恋人同士だということを認めさせたい。 二人の恋を白日のもとに堂々と公表し、瞬王子が その恋人にどれほど深く強く愛されているのかを、世界中に知らしめたい。 そして、夜の闇より光こそが似つかわしい瞬王子を、光輝く世界に住む幸福な恋人にしたい。 氷河王子は、そう思った。 そうすることが瞬王子に愛された男の義務だと。 その義務を果たすためには どうすればいいのか。 氷河王子が、持ち合わせの少ない脳みそをフル稼働させて思いついた対応策は、『瞬王子との盛大な結婚式を挙げる』だった。 深く愛し合い 熱烈に恋し合う二人が、神の御前で永遠の愛を誓い婚姻が成れば、二人の恋は隠すべきものではなくなる。 瞬王子の兄が弟の恋と恋人を どれだけ世間の目から隠そうとしても、地上の王国の王の権威は、天上の神の承認に勝るものではないのだ。 明るく暖かく眩しい光があふれる世界で、彼を熱愛する恋人の腕に抱きしめられている瞬王子の姿を脳裏に思い描いた途端、氷河王子は 滝壺に向かって落下を始めた水のように 後戻りができなくなった。 |