瞬王子とシルビアン。
いやでも目立つはずの二人(一人と一頭)の足取りが全く掴めないのは、二人の姿を見た者たちが揃って口を閉ざしているからだろう。
瞬王子は、『悪者に追われている』とでも言って、出会った人々に黙秘を頼んでいるのかもしれなかった。
瞬王子は、その黙秘の代償として与える金も宝石もないのに人々に匿ってもらえている。
大抵の人間なら、瞬王子の姿を見れば親切にしてやろうとするだろうが、瞬王子はそんな厚意に甘える人間ではない。
瞬王子は、瞬王子の目撃者たちに何らかの代償を払っているはず。
それも、金や宝石以上に価値のある代償を。
そういった状況を考慮すると、考えられる可能性はただ一つ。
おそらく、瞬王子は、たった一つだけ城から持ち出した剣で怪物退治をし、人々の沈黙、そして食べ物や宿を確保しているのだ。
氷河王子は、いずれ自分が倒すつもりでいた怪物や化け物たちの中で、最近 その姿が消えたという情報のある村や町を探し、それらを結んで、瞬王子の足取りを探る作業に取りかかった。


氷河王子が瞬王子を見付けたのは、彼が瞬王子捜索を開始して5日が経った ある日。
太陽は まだ姿を見せていないが、その光が遠くの山々の輪郭を浮かびあがらせ始めた頃。
エティオピアとテッサリアの国境の乾いた荒地の岩陰だった。
宿どころか、人家自体が少ない場所である。
瞬王子は、身体を丸めたシルビアンの毛皮の中に すっぽり収まって眠っていた。
瞬王子との二人だけの旅。
瞬王子を守っているのは自分だけなのだと思える状況が誇らしいのか、シルビアンの寝顔は、氷河王子が妬きたくなるほど嬉しそうで安らかだった。

馬を降り、巨大な獅子と華奢な少年という 奇妙な組み合わせの家出人たちの側に歩み寄る。
恋敵の匂いに気付いたシルビアンが、瞬王子より一瞬早く その目を開け、顔をあげ、低い唸り声を洩らし始めた。
シルビアンにしてみれば、氷河王子は瞬王子を悲しませ、その上、自分の幸せを邪魔しにやってきた男。
彼が 凶暴な目つきで氷河王子を睨むのは当然のことなのかもしれなかった。
「シルビーちゃん。怒らないで」
目覚めて氷河王子の姿を認めた瞬王子が シルビアンをなだめなければ、決して知らぬ仲ではない氷河王子に、シルビアンは その爪と牙で襲いかかってきていたかもしれなかった。

「瞬……」
おまえもシルビアンも怒っていいのだと、氷河王子は言おうとしたのである。
氷河王子が そう言おうとしていることを察したのだろう。
捜索人に見付かってしまった家出人は そういう時 どんな表情を作るべきなのかがわからずにいるようだった瞬王子は、一瞬 泣きそうな顔になり、すぐに横を向いてしまった。
横を向いたまま――氷河王子を見ずに、
「僕、帰らない」
と言う。

瞬王子の望みなら どんなことでも叶えてやりたかったのだが、氷河王子は、その願いばかりは聞いてやるわけにはいかなかった。
瞬の兄やエティオピアの城中の者たち――瞬王子は、瞬王子が愛し愛されている者たちから離れ、彼等に心配をかけている状況を嬉しく思っているはずがないのだ。
瞬王子のために、氷河王子は、瞬王子に否やを言わせない言葉を口にした。
「おまえの気持ちも考えず、我儘を言ってすまなかった。結婚式の話はなかったことにする。だから、城に戻れ。一輝も城の皆も おまえを案じている」
「……」

瞬王子は、それでも しばらくの間 ためらっていた。
やがて項垂れるように頷いて、瞬王子はシルビアンの背に横乗りになり、その耳に自分たちが向かうべき場所を囁く。
この幸せな二人旅をやめたくなかったらしいシルビアンは、最初は ぐずつく様子を見せたが、彼にとって瞬王子の“お願い”は 絶対服従の至上命令。
瞬王子の決意が変わらないことを悟ると、シルビアンは全速力でエティオピアの王城に向かって駆け始めた。

シルビアンは、馬より速く走る。
馬ほどの持久力はないのだが、普通の馬では、乗り手がどれほど操馬の術に長けていても、まず追いつけない。
氷河王子が瞬王子とシルビアンを見失うことなくエティオピアの王城までついていけたのは、二者の距離が開くと 瞬王子がシルビアンの足を止め、氷河王子の馬が追いつくのを待ってくれていたからだったろう。
氷河王子が完全に追いつく前に 瞬王子は再びシルビアンを走らせ始めたので、氷河王子は瞬王子に礼を言うこともできなかったが。

言葉らしい言葉を交わすこともなく駆け続け、氷河王子と瞬王子がエティオピアの王城に辿り着いたのは、その日の夕刻。
城門を守っていた衛兵たちはシルビアンと瞬王子の姿を認めると 喜びに瞳を輝かせた。
が、その傍らにいる氷河王子に、
「瞬を連れ戻してきた」
と言われると、途端に彼等は揃って困ったような顔になった。
瞬王子は城内に入れたいが、エティオピアの城に出入り禁止の氷河王子までを城門内に入れてしまっていいのかどうか、彼等は その判断に迷ったのだろう。
彼等の躊躇を見てとった氷河王子は、
「瞬を一輝のところへ。頼んだぞ」
とだけ告げて、瞬王子とエティオピアの城に背を向けた。

瞬王子は、氷河王子を追ってこない。
氷河王子を呼び止めもしない。
それを当然のことと思いながら、心のどこかで落胆している自分の未練を、氷河王子は胸中で嘲った。






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