その日から始まった瞬の聖闘士になるための修行。 その性格通り、瞬は真面目に素直に、そして極めて熱心に修行に いそしんだ。 星矢たちが当初 懸念したほど、瞬は自分の足元が見えていないわけではなかった。 膂力がないだけで、その運動神経は一般人の比ではなく、何より瞬は“努力を続けられる”という才能に恵まれていた。 おそらく 瞬に その才能を与えているのは 彼が抱く高い理想と志で、星矢たちは、経験と力で劣る瞬が くさることなく努力を続ける姿に、少なからず感動してしまったのである。 「泣いて逃げ出すかと思ってたのに、泣かないな」 「才能はあるぞ。力不足をカバーできる技術と頭もある。何といっても、瞬には実現したい夢と理想というものがあるからな。迷いがなく、しかも素直。力がないからこそ、小宇宙は強大になるということもある。五感の一つを あえて閉ざして小宇宙を高める修行もあるそうだし、これは ひょっとすると ひょっとするぞ」 「ひょっとされたら困るじゃん。ペガサス、ドラゴン、キグナスの聖衣を、俺たちで手に入れる予定なのに」 「予定が狂うのも面白いが、瞬には致命的な欠点があるからな」 「……」 予定を狂わされるのは困ると言いながら、紫龍が瞬の欠点に言及すると、星矢は眉を曇らせた。 高い理想と志を持ち、真面目で素直。才もあり、小宇宙の何たるかも あっという間に理解し、現に小宇宙を生み、不断の努力もできる。 しかし、瞬には、アテナの聖闘士になるには致命的な欠陥があった。 瞬は人を傷付け倒すことができないのだ。 地上の平和と安寧を乱す邪悪の輩を倒すことが、アテナの聖闘士の存在の第一義だというのに。 「おまえ、身軽で、敏捷で、運動神経もいいし、技の習得も早いし、小宇宙を燃やすこともできてる。戦い方も 理屈だけなら ばっちり理解してるみたいなのに、人相手だと駄目だなー。人相手のバトルで勝てたためしがないじゃん。技術があっても実戦に活かせないんじゃ、聖闘士にはなれないぞ。聖闘士になれるかどうかは トーナメント方式でのバトルの結果で判断されるんだから」 運動神経や 小宇宙の強大さでは はるかに劣る女子に、今日も手もなく 吹っ飛ばされてしまった瞬に、星矢が溜め息混じりに言う。 大々的に吹っ飛ばされたにもかかわらず、その可愛らしい顔には 擦り傷ひとつついていない。 攻撃力に欠けているだけで――戦闘意欲が皆無なだけで――防御面では、瞬はおそらく既にクラストップの技量を有していた。 無傷の その顔を、瞬が力なく俯かせる。 「悪いことをしたわけでもない人と戦って、その人を倒さなきゃ、聖闘士にはなれないの……」 「ただ勝つだけでも駄目らしいけどな。聖衣に選ばれなきゃ、聖闘士にはなれないんだと」 「星矢の言う通り、最終的に ものを言うのは聖衣の意思だ。どれほど強くても、邪心に満ちた者が聖衣に選ばれることはない。だが、未だかつてトーナメント戦で準優勝以下の生徒が聖衣に選ばれたこともないという話だ。そのトーナメント戦も開催は不定期で、開催時期を決めるのも聖衣の意思だと言われている」 「聖衣の意思?」 「ああ。近いうちに あるかもしれないって、専らの噂だぜ。ペガサス、ドラゴン、キグナス、アンドロメダの聖衣が ここにあるってわかったのは、つい最近のことなんだ。おまえがここに来るちょっと前かな。そういう情報が洩れてくること自体がさ、色々と怪しいだろ。きっと もうすぐ、3年振りに、聖衣に選ばれた新しい聖闘士が誕生する」 「3年間も――聖闘士の資格を得る人がいなかったの」 「3年前の鳳凰座以来だな。もっとも、あの男は特殊な例で――あの男がパライストラにやってきた途端にトーナメント戦の開催が決まり、あいつは あっという間に他の生徒たちを叩きのめし、聖衣を手に入れて ここを出ていった。当時まだロークラスにいた俺たちには、いったい何が起こったのかも よくわかっていなかったんだが、おそらく そうなることが運命づけられていたのではないかと、俺は思う。だから、新入りが――おまえが来ると聞いた時、俺たちは もしかしたら――と思ったんだ」 「僕は、そういうこととは無関係だよ……」 紫龍は、瞬に希望を持たせようとして そんな話をしたわけではなく、単に事実を告げただけだったのだが、瞬は それを彼の優しさと解したらしい。 かえって肩身が狭くなったように、瞬は その身体を小さく縮こまらせた。 決して才能がないわけではないのに卑下の気味が強すぎる瞬に、星矢が溜め息を洩らす。 「バトルに負けても、ここを おん出されるわけじゃないぜ」 「うん……」 ライバルと戦い 彼を倒すことができなくても、パライストラに在籍することは許される――つまり、生徒の衣食住は保障され続ける。 星矢はそう告げたのだが、衣食住の確保ではなく、聖闘士になることこそが この学園にいる目的である瞬には、それは慰めにはならなかったようだった。 「僕は……生まれてすぐに両親を亡くして、4つしか歳の違わない兄さんに守られて 生き延びることができたの。兄さんがいなかったら、僕は ほんの赤ん坊のうちに死んでしまっていたと思う。でも、兄さんは、僕のせいで子供らしい子供でいることができなかった。僕は、兄さんに返しきれないほどの恩がある。一生かけても どうしたって返しきれないほどの。なのに、僕は ただの無力な子供でしかなくて――僕は自分の無力が焦れったくて つらくてならなかった。そんな時、学園長が言ってくれたの。兄への恩は、僕や兄さんと同じような境遇にいる不幸な子供たちをなくすことで 返せばいいだろうって」 「学園長が?」 あの不良学園長が言うにしては あまりにも立派な――まるで普通の教育者が言うような真っ当なセリフ。 いったい どういう経緯で、学園長が瞬と知り合ったのかは わからなかったが、あの柄の悪い学園長にも そんな指導者らしいことができるのだと、星矢は感心することになった。 そして、ならばなおさら瞬を――自分より瞬を――アテナの聖闘士にしてやりたいと、星矢は思ったのである。 「でも、敵を倒さずに聖闘士になれるわけないだろ。聖闘士の本分は、邪悪な敵を倒すことだぞ。氷河みたいにクールにいけよ。つーか、そうだ、おまえ、氷河と やり合ってみろよ。氷河は まるっきし人間らしくないから、おまえでも倒せるかもしれないぞ」 「え……」 戦闘能力では、氷河、星矢、紫龍は、現在のパライストラでは、まさに三指に入る実力者たちだった。 クラス内で最も低いレベルの女子にも負ける瞬に、無謀ともいえる星矢の提案。 瞬は、その提案に しばし唖然としていたのだが――冗談の類かと思っていたのだが、 「それは、試してみる価値があるな」 と紫龍に言われるに及んで、瞬は 「な……なに言ってるの、紫龍まで。そんなの無理だよ……!」 瞬は当然 尻込みしたのだが、自分の提案の面白しさに 少し遅れて気付いた星矢は、瞬の尻込みを許さなかった。 「これは試合。ただのゲーム、ただの腕試しだって。別に本気で戦えってわけじゃないし、氷河を殺せとか、二度と立ち上がれなくしろって言ってるわけじゃない。やってみろよ。面白そうだ」 「氷河の凍気と瞬の気流の勝負か。小宇宙の大きさだけなら、瞬は氷河に劣るものではないし、確かに興味深い実験だな。案外、瞬は、氷河のように力もあって容赦のない“敵”が相手なら、戦いらしい戦いができるかもしれん」 「え……」 紫龍に そう言われてみると、星矢の提案は 瞬にとっても なかなか興味深く感じられるものだったのである。 この学園に来て 最初の実戦の授業で、新入りにふさわしい 瞬は、氷河や紫龍、星矢といった、いわゆる実力者と戦わせてもらうことはできずにいた。 瞬がちらりと教師の方を見やると、学園屈指の実力者たちの提案ということで、教師も その提案に水を差してこない。 「そ……そうだね。自分には絶対に勝てないってわかっている人が相手なら、僕も恐がらずに戦えるかもしれない……」 聞きようによっては、多くのクラスメイトを侮っているようにもとれる言葉を呟いて、瞬は星矢に背中を押されるまま。闘技場の中央に進み出た。 ところが。 クラス最弱の瞬と、最強の三人の中の一人の対戦。 彼等の同輩のほとんどが 自身のトレーニングをやめ、野次馬根性いっぱいで闘技場に立つ二人を注目しているというのに。 いざ闘技場の中央で二人が対峙した時、戦うことができなかったのは、今度は瞬ではなく氷河の方だったのである。 「おい、氷河、どうしたんだよ。瞬は防御のテクだけはクラスで1、2を争うくらいだから、多少 手荒なことをしても大丈夫だぞ、多分」 「小宇宙の力だけなら、瞬は もしかしたら おまえを凌駕するし」 バトルを開始していいところまで間合いは詰まっているというのに、いかなる攻撃も繰り出さない氷河を訝りながら、脇から星矢や紫龍が声をかける。 発破をかけられ、再び瞬と向き合うことはしたのだが、氷河は結局 頭を左右に振って、拳に込めていた力を消し去ってしまった。 「氷河、どうしたんだ」 「俺は、瞬とは戦えない。瞬は俺を傷付けまいとしている。自分の力を抑えようとしている。戦えるわけがない」 「氷河、おまえ、なに言ってんだ?」 小宇宙を燃やせと言われれば燃やす。岩を砕けと言われれば砕く。“敵”を倒せと言われれば倒す。 衣食住の面倒を見てもらっている者の義務と言わんばかりに、常に淡々と 学園が提示するカリキュラムをこなしてきた氷河の初めての思いがけない抵抗に、星矢は心底から呆けてしまった。 「氷河……」 氷河に『戦えない』と言われてしまった瞬も、その言葉に あっけにとられ、『戦えない』と言った人を見詰めている。 「氷河、おまえまで瞬に悪い病気を伝染されちまったのかよ。これはゲーム、試合だぞ。ただの手合わせ!」 ほとんど怒声で星矢がけしかけても、どれほど焚きつけても、氷河は動かない。 氷河は、脇で騒いでいる星矢を いっそ見事といっていいほど華麗に無視して、瞬に向き直った。 「敵を傷付け倒すことではなく、戦争や理不尽な暴力のせいで不幸になる子供たちをなくすことが おまえの夢で、聖闘士になる目的なんだろう。黄金聖闘士レベルまで強くなれば、敵は戦う前に戦意喪失して、おまえに降伏するかもしれん」 「え」 「そのために――強くなることだ」 「氷河……」 氷河の『戦えない』という言葉に瞳を見開き呆然としていた瞬が、更に その瞳を大きくみはる。 “敵”を傷付けまいとする者とは戦えないという氷河の その言葉が、人を傷付けたくない未熟な聖闘士志願への励ましだということを理解して、瞬は自分の顔を微笑でいっぱいにした。 「うん! ありがとう、氷河!」 この学園にやってきてからずっと、力を尽くして戦えない自分に落ち込んでいた瞬が、輝くばかりの笑顔で、冷めた目をした男に礼を言う。 瞬の笑顔に一瞬 目を細め、だが、氷河はすぐに瞬に背を向けた。 |