「どーすんだよ、このアヒル!」
何とか気を取り直した星矢が、仲間の変わり果てた姿に視線を投じ、情けない声を響かせる。
これでは、いざという時、氷河は聖衣を身にまとうことができないではないか。
白鳥座の聖闘士の自業自得とはいえ、アヒルの氷河が浴槽で すいすいと呑気そうにしていればいるほど、星矢の情けない気持ちは増し、募った。
瞬の頬からは 血の気が失せたまま 戻ってくる気配がなく、紫龍も、
「アヒル肉は煮ても焼いても蒸しても美味いが、まさか食ってしまうわけにもいかないしな……」
と、お手上げ状態である。
三人のアテナの聖闘士は、為す術もなく瞬の部屋の浴室に立ち尽くしていた――他にできることもなく、呆然としていた。

が、その場には、ただ一人だけ(ただ一羽だけ)、元気で意気軒昂な男が(元気で意気軒昂な鳥類が)いたのである。
それは、言わずと知れた、今は黄色いアヒルちゃんに なり果てた白鳥座の聖闘士。
ヒヨコの身体と喉とクチバシの持ち主にさせられたにもかかわらず、氷河は 人間の声と言葉を発することができるようだった。
瞬が立つ浴槽の脇に すいすいすいーと滑ってくるなり、アヒルの氷河は、
「瞬。アヒルの俺なら、おまえと一緒に風呂に入ってもいいか?」
と、全く落胆の響きのない声で――むしろ 期待と希望に満ち満ちた声で、瞬に尋ねてきたのである。
「え……あ、アヒルちゃんなら、変なことはできないだろうから、それは構わないけど……」
瞬はやはり、それを警戒して、危険な男を 自分の浴室からシャットアウトしていたらしい。
アヒルなら その心配はない――と、瞬は考えたようだった(今の瞬に ものを考える力があるのかどうかは、かなり怪しいものだったが)。
瞬の返事を聞いたアヒルの氷河が、嬉しそうに湯面で あるか なしかの小さな翼を ぱたつかせる。

「まあ……ハーデスが瞬の風呂場を覗いているとなると、氷河が側に ついていた方が何かと安全――なのかもしれんな」
「“毒をもって毒を制す”ってやつか。うん、それがいいかもしれないよな」
ぴよぴよ ぱたぱた嬉しそうにしているアヒルの氷河を見おろしながら そう告げる紫龍と星矢の声に まるで力が感じられないのは、こんなことになっても あくまで前向きな姿勢を崩さない氷河の様子が、彼等から力を奪い、疲れさせていたから――だったかもしれない。
前向きで楽観的な人間というものは、その前向きと楽観の度が過ぎると、周囲の人間を疲れさせるものなのだ。
ここで氷河に、『白鳥座の聖闘士が なぜアヒルちゃんなんかに……』と暗く落ち込まれても困るのだが、こうまで能天気にしていられると、それもまた対処に困る。

いずれにしても、氷河当人が、アヒルちゃんになってしまった我と我が身を嘆いておらず、それどころか 瞬と一緒に風呂に入る お許しが出たことを喜んでいるのである。
余人に何が言えるというのか。
とりあえず、他に何ができるわけでもなし、しばらくは 様子を見ようということで、アテナの聖闘士たちは その夜は このまま解散することにしたのだった。






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