「僕、おふくろの味は知らないけど、兄さんの味ならあるんだよ。おにぎり」 「それも料理じゃないだろ」 星矢が、芸もなく同じ突っ込みを入れる。 瞬は、その突っ込みに苦笑した。 「うん。でも、兄さん、他に作れるものがないの」 「そりゃそーだ。一輝が みそ汁だの肉じゃがだのを作ってる図なんて、想像を絶するもんな」 「おにぎりを握っている一輝というのも、十分に想像を絶しているだろう」 星矢だけでなく紫龍にまで そんなことを言われ、瞬は少し向きになってしまったのである。 肩に力を入れて、瞬は仲間たちに反論した。 「そんなことないよ! おいしいんだよ、兄さんの握ってくれる おにぎり!」 「一輝が おにぎりねー。まだ、寿司でも握ってる方が自然っていうか、奴らしい気がするけどなー」 寿司を握るのは それなりに厳しい修行を積んだ職人、おにぎりを握るのは“お母さん”。 星矢の中には そういうイメージがあるのだろう。 そのイメージ自体には、瞬も異論はなかったが、一輝が 弟のために おにぎりを握ってくれたのは 厳然たる事実であり、瞬には、当然のことながら、イメージより事実の方が重く意義深いものだった。 「僕と兄さんが 城戸邸に来る前にいた教会の近所に 幼稚園があったんだ。そこで、時々 親子遠足や運動会みたいなイベントがあって……。でも、そういう時、僕は、幼稚園に通ってる子供たちが お母さんと一緒に遠足のバスに乗り込んでいくところとか、運動会で 家族揃って おべんと食べてるところとかを、楽しそうだなあって思いながら、離れたところから見ていることしかできなくて……。そんな時にね、まだ小さかった兄さんが、教会の食事の残りご飯で、僕のために おにぎりを作ってくれたんだ。見栄えはあんまりよくないし、具も入ってない、ただの塩むすびなんだけど、それが とっても おいしくて……」 それは瞬にとって、何よりも美しく、何よりも懐かしい思い出だった。 兄が握ってくれる あのおにぎりがあったから、自分は自分を不幸な子供だと思うことなく、事実 幸福な子供として、幼少期を過ごすことができたのだと思う。 「それは、やはり、具が愛だったからだろうな」 紫龍の言葉が嬉しい。 瞬の笑顔は、長く厳しい冬を耐え抜き、春の暖かい陽光を喜んで 精一杯 花を開かせる春の花のように明るいものになった。 「僕は、兄さんのおにぎりの味を超える おにぎりに会ったことがないよ。この間、沙織さんのお供で出掛けた時、グラードの持ちビルに入ってるテナントの和食レストランで、2個で5000円っていう おにぎりをランチに食べたんだけど、兄さんのおにぎりの味には遠く及ばなかった」 瞬が得意げに そう言い、そんな瞬を見て、氷河がむっとする。 星矢は、氷河の正直な反応に こっそり溜め息をついた。 「おにぎりねー。コンビニに行けば、いくらでも売ってる お手軽携帯食ってイメージだけどなー」 「あれは機械で作ってるんでしょう。やっぱり、人の手で握ったおにぎりとは違うよ」 「ん、そうかもな。んでも、それはいいアイデアだな。合コンで おふくろの味談義っての。おふくろの味に似てる料理作れる子と付き合うとか、おふくろの味を超える料理に感激して付き合い始めるとか、そういうカップルができそうじゃん。そういうのって、お遊びじゃなく、真剣なオツキアイに進展しそうだし。いっそ 作った料理を持ち寄る合コンってのもいいかもしれない。まあ、氷河のグミの実は問題外だけど」 「今は男女同権。料理が上手い男子は 女性陣の受けもいいだろう。しかし、料理持ち寄り合コンは、その料理の味が おふくろの味と系統が違い過ぎていたり、おふくろの味以前に 不味くて食えないものだったりした場合に、お付き合いは遠慮したいと思う者続出という事態を生じる危険性もあるぞ」 紫龍の冷静な意見に異議を唱えることまではせず、だが、瞬は微かに首を傾けた。 「そういうこともあるかもしれないけど……。もし 兄さんのおにぎりの味を超えるおにぎりを作ってくれる人が現われたら、僕、一瞬で その人のことを好きになっちゃうと思うけどな」 「具が愛なら、そういうこともあるだろう」 問題は、おにぎりの味そのものではなく、そのおにぎりを食するに至るまでの背景であり、物語であり、エピソードである。 おにぎりの具が愛というのは、そういうことだった――そのはずだった。 瞬と紫龍の やりとりを聞いて、 「一輝のおにぎりを超えれば――」 と独り言のように呟いた氷河が その事実に気付いていたのかどうかは はなはだ疑問だが。 そして、 「でも、おにぎりはおにぎりだからなー。飯さえあれば、俺でも作れる」 と ぼやいた星矢も、愛というおにぎりの味の意味を真に理解していたのかどうか、非常に疑わしい。 もっとも、星矢の気のないコメントは、氷河が合コンに参加したと知れば 瞬が少しは妬くことをしてくれるのではないかという期待が見事に裏切られてしまったせいで出てきたものだったのだが。 氷河が合コンに出席したという話を聞いて嫉妬するような思いを、瞬は氷河に対して抱いていないらしい。 氷河に対してだけでなく 誰に対しても、瞬は そういう気持ちを、(今のところは)抱いていないようだった。 その事実が 氷河にとって喜ばしいことなのか、落胆をもたらすものだったのかは、星矢には何とも判断がつかなかったのであるが。 「それはそうだけど……」 星矢の意見に、瞬は少々不満そうだった。 |