二人が“こんな昼間”にしか 逢瀬の機会を持てなくなったのは、氷河の叔父でもある瞬の兄が、妻を迎えたせいだった。 どういう経緯で知り合ったのか、一輝が、京から遠く離れた播磨の国の受領の姫を妻に迎えることにしたのが、すべての発端。 姫の父親の位階は従五位下。 決して 高い身分ではなかったので、一輝は妻を迎えるに当たり、妻を 秘密裡に まず播磨の須磨から丹波に呼び寄せ、正一位の公卿の妻に ふさわしい準備を整えさせた。 瞬は、多忙な一輝の代わりに 丹波に通い、丹波の姫の無聊を慰めつつ、彼女を 都の一輝の宮に迎える準備をしていたのだが、それを 瞬が思い人の許に通っていると誤解した氷河が、丹波に押しかけて一騒動。 丹波の姫のおかげで誤解は解け、そこで氷河と瞬は結ばれたのだが、それは二人の恋の成就ではなく、多難な恋の幕開けだったのだ。 幼いころからずっと その胸中に育んできた恋の実を ついに手に入れたことに浮かれて、氷河は丹波から都に帰った。 その二日後、氷河が浮かれて帰ってきた丹波から、一輝が彼の都の宮に妻を迎えた。 その妙な符合に、宮中の者たちは下世話な勘繰りをすることになったのである。 住む者も稀な 寂しい丹波の山奥で、何かがあったに違いない――と。 それだけなら、実のない風説は 時を経れば、いずれは宮中から消えていたことだろう。 だが、無事に一輝の宮に迎えられた丹波の姫――今は、須磨の君と呼ばれている――は、その風説を耳にした一輝に事情を問われ、悪気なく 瞬と氷河のことを、瞬の兄に知らせてしまったのだ。 美しく幸薄い弟を溺愛していた一輝が 激怒したことは 言うまでもない。 一輝は、もともと 瞬に馴れ馴れしい氷河を快く思っていなかった。 そこに、氷河を憎む明白で正当で恰好の理由が与えられたのだ。 一輝は、宮中で 氷河への敵意をあからさまにし始めた――隠そうともしなかった。 宮中の噂好きの女房や貴族たちは 消えかけていた風説に飛びつき、その風説は華やかな尾ひれをつけて、知らぬ者とてない 見事な醜聞に昇進した。 風聞についた尾ひれは、幸か不幸か、事実とは全く異なっていたのだが。 宮中の者たちは、一輝と氷河の反目の原因は 一輝の妻である須磨の君なのだと、派手に誤解してくれたのだ。 氷河は親王――帝の皇子だが、一輝は、世に並ぶ者とてない権力をその手に収めた“光源氏もどき”の妻の中で最も高い地位にある正妻の息子。 先帝の血を汲む、氷河の叔父である。 先帝のみならず、今生帝とも東宮とも近しい血縁の、“光源氏もどき一族”の長。 皇族として、教養を高め、雅な趣味を身につけ、宮廷の作法、恋の作法だけを学んでいればよかった氷河とは異なり、瞬の兄は 政治力というものを持っていた。 一輝は、国内のすべての官吏・役人を任命する除目を支配している男だったのである。 現時点では 帝の皇子という立場しか持たない皇族の氷河より、絶大な権力を持っている臣下の一輝の機嫌を取っておいた方が我が身の益。 宮中の男たちが――特に出世を望む者たちが――そう考えるのは自然の理というものだったろう。 宮中の女たちは、そのほとんどが 氷河の味方だったが。 いずれにしても、彼等は――宮中の男たちと女たちは――同じ行動をとった。 氷河は須磨の君に接触していないと 一輝に知らせることが、一輝の機嫌を取ること、氷河を庇うことだと、彼等は考え、その考えに沿った行動をしたのである。 彼等の誤解は、根本的にすぎた。 あまりに 的を外しすぎていた。 宮中の者たちは皆、氷河が一輝の妻を寝取った、もしくは 横恋慕しているのだと思っていたのだ。 だから彼等は、『氷河は須磨の君に接していない』『瞬殿の宮に出掛けていた』と言って、一輝の怒りを和らげようとする。 だが、一輝の怒りの理由は、氷河が 彼の妻に懸想していることではなく、彼の弟を汚したことなのである。 そういう状況で、だが 一輝は、宮中の者たちの誤解を解くために、真実を公にするわけにはいかなかった。 そんなことをしてしまったら、瞬の名誉と体面が 著しく傷付き 損なわれることになる。 世間は、妻に横恋慕されている一輝の怒りは至極当然と得心してくれているのだ。 一輝と須磨の君の仲は睦まじく、氷河が須磨の君に近付きさえしなければ、いずれ問題は解決すると思っている。 それが、事態を面倒で複雑なものにしていた。 |