いつもと様子の違う二人の間で 居心地の悪い思いをしている星矢に 救いの手を差しのべてくれたのは、聖域 第六の宮――処女宮――だった。
むずむずするような沈黙を これで払いのけられると内心で安堵して、星矢が、瞬に話の水を向ける。
「でも、意外だったな。おまえが 意外とあっさり乙女座の黄金聖衣の継承を承諾したのは。おまえ、アンドロメダの聖衣に愛着があったみたいだったし――。それ言ったら、俺たち みんな そうなんだけどさ」

何かを言わなければならないのに 何を言えばいいのか わからず、落ち着かない気分でいたのは 瞬も同じだったらしい、
大海で浮木に出会った者のように、ほっとした表情を一瞬 垣間見せ、瞬は星矢が持ち出した話題に 飛びついてきた。
「今だって、黄金聖衣をまとうには、僕は まだ未熟だと思っているよ。でも、僕が大人しく乙女座の聖衣を継承しないと、またシャカが涅槃から甦ってきて、あれこれ言いそうだから……。黄金聖闘士になってからでも、努力精進はできると思ったんだ」
「おまえは、どんだけ強くなっても 謙虚なところがオトナだよな」
「シャカとしては、アフロディーテに おまえを取られたくないとか、一輝に“乙女”の名を冠したくないとか、いろいろ都合があるんだろう。先達は立ててやることだ」

『先達は立ててやれ』と言いながら、紫龍の声には 先達への敬意より、面倒事を排除したいという思いの方が はるかに濃く 強く にじんでいる。
物事が 自分の思い通りに運ばないと、あの世からでも甦ってきて口出しをしてくる先達は、生きている舅や姑より 始末に負えないと思っていることが 丸わかり。
そう言う紫龍の先達も『老いては子に従う』というタイプの聖闘士ではなかったから、瞬の置かれている状況は、彼にとっても 決して対岸の火事ではなかったのだ。

「氷河や紫龍は師匠の聖衣だし、氷河なんかいちばん喜んで継承するんだと思ったのに、最後まで渋ってたな」
「ガキの頃は、黄金聖闘士になりたがっていたさ。だが、今は――自分がガキだということを知っているから、本音を言えば、今も決心がつかないでいる」
「へ?」
気まずい沈黙の霧を払いのけることができたと、安堵の胸を撫で下ろしかけていたところに、とんでもない爆弾発言。
どれだけ大人になっても、この男は 面倒事を生むことしかしないのかと、星矢は 慌てることになった。
「おい、冗談、やめろよ。明日だぞ、俺たちが アテナから正式に黄金聖闘士に叙せられるのは。わかってんのか? 俺たちは これからアテナに その内示を受けに行くところなんだぞ」
「だから、これから決めようと思っている」

氷河は、子供の頃から、わけのわからない騒ぎを引き起こしては 仲間に迷惑をかけまくる男だった。
三つ子の魂 百まで。
雀 百まで踊りを忘れず。
この期に及んで、氷河は いったい何を言い出したのかと慌て驚く(今はまだ)青銅聖闘士たちの前には、聖闘士の善悪を判断する天秤座の黄金聖闘士が守護する天秤宮。
その宮の前で足を止め、氷河は 実に彼らしく、わけのわからないことを言い出した。
氷河は、瞬に向かって、
「瞬。リベンジさせてくれ」
と、真顔で言ってきたのだ。

「え?」
その言葉に驚き――というより、自分が何を言われたのか わからずに――瞳を見開いた瞬の横で、星矢は懸命に 氷河の告げた言葉の意味を理解しようと努めることになったのである。
幸い 言葉の意味はわかったのだが、そのこと自体に あまり益はなかった。
星矢に理解できたのは、正しく 氷河が口にした言葉の意味だけだったから。
「リベンジって、鬼ごっこの、かよ? それで、瞬を捕まえられたら、おまえは 黄金聖衣を継承するってのか?」

命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間である。
星矢は、氷河の戦い方も、性格も、癖も、価値観も知っていた。
だが、いつまで経っても、氷河の思考回路だけは わからない。
わかったら おしまいという気もしたが、だからといって、それは わからないままに捨て置くことは許されない発言である。
星矢は、半ば以上 呆れて、尋常でない疲労感に囚われつつ、氷河に問い質した。
疲れ切っている星矢に、自分が おかしなことを言った自覚のない顔を、氷河が向けてくる。
氷河は むしろ、仲間に そんなことを尋ねてくる星矢に呆れているようだった。

「馬鹿か。そんな条件付きで鬼ごっこをしたら、瞬はまた、わざと俺に捕まるだけだろう。俺が黄金聖闘士になるかどうか、黄金聖衣を継承するかどうかは、この勝負には全く関係ない。俺は ただ、確かめたいだけだ。俺は、黄金聖衣をまとえるほど 大人になれたのか、それとも、今も 瞬の気持ちがわからない子供のままなのか。瞬、手加減は無しだ」
「氷河……」
“氷河が黄金聖衣をまとえるほど 大人になれたのか、それとも、今も 瞬の気持ちがわからない子供のままなのか”が、なぜ、どうすれば 鬼ごっこでわかるというのか。
氷河の仲間たちには――星矢にも、 紫龍にも、もちろん 瞬にも――氷河の考えは まるで理解できないものだった。

氷河は、彼が黄金聖闘士になるかどうかは この勝負の結果には全く関係がないと言うが、この鬼ごっこで“氷河が黄金聖衣をまとえるほど 大人になれていないこと”、“今も 瞬の気持ちがわからない子供のままでいること”が確かめられてしまったら、氷河は 当然 黄金聖衣の継承を辞退するに決まっていた。
氷河は、地位や肩書きというものに 価値を置く男ではない。
つまり、どういう言い方をしても、どういう聞き方をしても、氷河は、この鬼ごっこで、自分が黄金聖闘士になるかどうかを決めると言っているのだ。
『地位と責任と 特別製の制服を与えるから、これまで以上に働け』というアテナに、『嫌だ』と言う――言うかもしれない――と。
そんなことは許されないし、すべきではない――と訴える瞬の眼差しを、氷河は無視した。
気付いているはずなのに、無視した。
そして、瞬の眼差しのみならず 仲間たちの呆れ顔をも無視し、氷河は 勝手に話を勧めていく。

「場所は、この天秤宮」
氷河は、これ以上ないほど――いっそ 見事と言いたくなるほど 身勝手だった。
他の あらゆることに頓着せず、すべてを一人で決めていく。
さすがに 星矢は、強引で 理のない氷河の言い草に黙っていられなくなったのである。
「冗談 やめろよ。今のおまえたちが本気で鬼ごっこをしたら、せっかく修復した この宮がまた壊れちまうだろ!」
「やめてくれ! おまえには思い出深い場所なんだろうが、ここは俺の宮だ!」
滅多に弱音や泣き言を口にしない紫龍が 悲鳴じみた声で訴えたが、もちろん、氷河はクールに(?)仲間の声を無視した。

「ったく」
そこが自分の宮でないせいもあったかもしれないが、紫龍より先に『氷河には何を言っても無駄』という悟りの境地に至ったのは星矢だった。
氷河の無謀を止めることができないなら、できないことをしようと足掻くより、被害を最小にとどめるべく努める方が賢明というもの。
切り替えの早い星矢は、迅速に その作業に取りかかった。

「当然、小宇宙なしで、だよな? 身体能力と運動能力だけの勝負だよな?」
確認を入れる形で、氷河に釘を刺す。
「ん? ああ、そうだな」
同じ条件下で瞬と鬼ごっこができるなら それでよかったらしい氷河は、特段の不満もなさそうに 星矢の釘を受け入れた。
氷河の返答を確かめた星矢が、明日には天秤座の黄金聖闘士になる(はずの)仲間に向き直る。
「紫龍。場所くらい、貸してやれって。普通の鬼ごっこなら、そんな ひどいことにもならないだろ」
「……」

顔で地面を掘り、身体で岩を砕くこともできる聖闘士が、小宇宙を使わないからといって、建造物損壊の罪を犯すことはないと、誰に保証できるのか。
そんな保証など、どこにもない。
それが わかっていながら――わかっているからこそ――紫龍は泣きそうな顔で頷くしかなかったのである。
徹底抗戦を図って、“損壊”が“全壊”になってしまっては、先代の天秤座の黄金聖闘士に申し訳が立たない。
どうして氷河は 幾つになっても、どれだけ戦いの経験を積んでも、どけだけ大人になっても 傍迷惑な男のままなのか。
顔で笑いきれず 心中で号泣して、紫龍は、明日には彼のものになる予定の宮を、氷河の鬼ごっこの開催会場として提供することを承諾したのだった。

開催が決まったら、イベントや祭りの類は楽しんだ者勝ちである。
「どうしても 瞬を捕まえたかったら、意地を張って真面目手に10数えてないで、『ちゅうちゅうたこかいな』でいけよ」
星矢が無責任に氷河を煽り、
「貸し一つだぞ。忘れるな。必ず返してもらうぞ」
紫龍も開き直ったように 氷河を:激励(?)し始めた。
「『ちゅうちゅうたこかいな』で2秒足らず。まともに1から10まで数えていたら、4秒はかかる。聖闘士同士の鬼ごっこで、この差は大きいぞ。2秒なら、瞬は二手 先を読むが、4秒なら四手 先を行く」
「俺の宮を使っておいて、結局 瞬を捕まえられなかったなんて間抜けな落ちは、俺は絶対に ご免だからな」

星矢と紫龍が、結局 氷河の方を応援してしまうのは、瞬がどれほどの強敵なのかを彼等が身に染みて知っていたから――だったろう。
はたして勝算はあるのか、ないのか。
氷河は、薄く 微笑して、二人の仲間に頷いた。






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