氷河が ついに瞬を捕まえ、彼の長かった片恋が ついに実ったことは 実にめでたく 喜ばしいことである。 これで 皆が 明日の祝典に晴れ晴れとした気持ちで臨むことができると、天秤宮の向こうに広がる青空を眺めて、星矢は思った。 そう思った、次の瞬間。 皆で 命と心と力を合わせて勝ち取った平和な青空の下で、あることを思い出し、星矢の顔面は 聖域の上の青空よりも青くなってしまったのである。 星矢が思い出した“あること”――星矢が思い出してしまった“あること”。 それは、 「明日……一輝の奴、来るのか?」 ということだった。 黄金聖闘士の地位の継承・叙任の儀式、黄金聖衣の賜与の儀式。 一輝に知らせてはいないが――居場所のわからない一輝には知らせようもなかったが――もちろん、一輝も 明日のイベントのことは知っているはずである。 明日、瞬の兄が聖域にやってきて、大人しく アテナから黄金聖衣を下賜されるのかどうかを、一輝の仲間たちは案じていた。 が、事態が こうなってしまうと、一輝が 彼の仲間たちの許に戻り、彼の弟と氷河とのことを知ってしまった時の彼の反応の方が、一輝の儀式への出欠などより はるかに重大な懸念事項である。 懸念というより、星矢は むしろ恐ろしかった。 いちゃつくのは 今日の仕事を終えてからにしろと紫龍に言われて 鬼ごっこ会場を出たにもかかわらず、氷河の手と腕は 相変わらず瞬の背と肩にまわされたまま。 困るのだが『困る』と言えず、『離して』とは なおさら言えずにいるようだった瞬は、星矢の心配事を聞くと、慌てて兄の弁護を始めた。 「兄さんは……明日の継承式には来ないかもしれないけど、それは黄金聖衣を継承したくないからじゃなくて、みんなで並んで賜与の儀式に臨むのを恰好悪いと思っているからで――」 瞬の弁護の内容は、星矢の心配事とは 微妙に齟齬のあるものだったのだが、いずれにしても 瞬は、明日の継承式に一輝は来ないと思っているらしい。 瞬が そう思うのなら、おそらく その通りになるだろう。 とはいえ、それは ただの先延ばし――嵐の前の静けさが 少々長引くだけのことで、結局は 空しい時間稼ぎでしかないような気がしたのである、星矢は。 「沙織さんも、一輝の性格は承知している。明日、奴が来なくても 怒ったりはしないだろう」 星矢の心配事の内容を正しく理解している紫龍が、心配顔の瞬のために そう言い、 「どうせ、俺たちが黄金聖衣で戦い出すと、一輝も ちゃっかり黄金聖衣着用して 現われるんだよ。で、いつから、どうして黄金聖衣をまとって戦うようになったのか、一輝の奴は 説明もしないんだ」 星矢もまた、アテナの ご機嫌と 兄の身を案じる瞬のために、己れの真の心配事を ひた隠しに隠すしかなかった。 「んで、瞬が、『やっぱり着てくれたんだね、兄さん』とか言うんだろ。展開は見えてるぜ」 詰まらない駄洒落を言って、自分で自分を疲れさせていては世話がない。 そんな星矢の疲労感を慰撫するように、あるいは からかうように――聖域の上の空は、相変わらず青く澄んでいた。 天蠍宮、人馬宮、磨羯宮。 どの宮にも思い出があり、思い入れがある。 半ば以上 崩れ落ちていた十二の宮。 明日の祝典のために美しい姿を取り戻した それらの宮を見詰めながら、 「どうせ、新しい敵が来たら、すぐにまた 瓦礫の山になっちまうのに」 と星矢が ぼやいたのは、彼の胸中にある真の心配事を忘れるためだったかもしれない。 星矢が本当に心配していることが何なのかを知らない瞬が、そんな星矢を、のんきに(?)諌めてくる。 「そんなことになったら、黄金聖闘士としての僕たちの責任が……」 「けど、見習うべき先代の黄金聖闘士たちが、あんなだったしなー」 「この宮とアテナと 地上の平和を守るのが、僕たちの務めだよ」 そんな優等生的なことを言っていられる瞬が、星矢は羨ましくてならなかった。 氷河と瞬のことを知った一輝が 怒りの小宇宙を向ける相手は 瞬ではなく氷河であり、その氷河を止めることのできなかった天馬座の聖闘士と龍座の聖闘士なのだ――もとい、射手座の黄金聖闘士と天秤座の黄金聖闘士なのだ。 黄金聖闘士同士の内輪揉めなど、見習ってはならない先達を見習っているようで、目も当てられない事態である。 その上、疲労感が募るばかりの星矢の上に、彼の心配事の元凶である氷河が、 「瞬が俺の側にいてくれるのなら、俺は黄金聖衣なんぞ、どうでもいいぞ」 などという ふざけた台詞を吐いてくれるのだ。 星矢には、優雅に疲れている時間も与えられなかった。 「氷河! おまえ、この期に及んで まだ そんなこと言ってんのかよ!」 「自分の聖衣を継ぐ者が こんなありさまでは、カミュが泣くぞ」 「瞬が黄金聖闘士なのに、おまえが青銅聖闘士のままじゃ、恰好がつかないだろ。ここはカッコつけのために、大人になって、素直に黄金聖衣を継承しろ!」 「ん? ああ。まあ、継承してやってもいいぞ。大事なのは、すべてを脱いだ時だしな」 「氷河。おまえなー……」 氷河はどういうつもりで、何を考え、よりにもよって宝瓶宮の前で そんなことを言っているのか。 星矢は修復成った宮のどこかから、先代の水瓶座の黄金聖闘士の嘆きの声が聞こえてくるような気がしてならなかった。 「あー……。氷河の鬼ごっこのせいで、予定外の時間を費やしてしまった。急ごう。アテナ神殿でアテナが待っている」 このままでは 尋常ならざる疲れと怒りによって圧死し、星矢は明日の儀式に臨むことができなくなってしまう。 仲間の心と身体を気遣って そう告げた紫龍の心身も、実は かなり疲れ気味。 少年と呼ばれる頃から共に戦ってきた仲間であるにもかかわらず、紫龍は 今になって初めて、瞬の強さの訳と氷河の強運の訳がわかったような気がしていた。 それは、彼等の一途、純粋、そして、常識に囚われない自由な発想と価値観――要するに、常識の欠如、もしくは 常識のずれが、彼等にもたらす奇跡のような僥倖なのだ――と。 双魚宮から、教皇殿へ、アテナ神殿へと つながる、最後の長い石の階段。 最後の一段を登り終えたところで、アテナの聖闘士たちは、彼等が これまで辿ってきた長い道を振り返った。 それは 本当に長い道で――つらく 苦しく 険しい道で、そして、悲しい道でもあった。 だが、その道を辿ることで アテナの聖闘士たちは強くなり、その絆を深めてきたのだ。 「明日も晴れそうだね」 「そうだな」 神話の時代から、アテナと地上の平和を守るため、アテナの愛と地上の平和の象徴として、この地にあった十二の宮――聖域。 その上に、今は 澄み晴れ渡った青い空が広がっている。 今は 穏やかで平和な聖域。 この平和の時が いつまで続くのか。 もしかしたら、アテナの聖闘士たちの戦いは 永遠に終わらないのかもしれない。 平和を求め追いかける鬼ごっこは、いつまでも続くのかもしれない。 だが、そうなのだとしても、アテナの聖闘士たちは それを求め 追い続けるだろう。 それがアテナの聖闘士たちの務めであり、選んだ道であり、その道を歩み続けることが 彼等の幸福でもあるのだから。 美しく、明るく、希望の光に満ちている この地上、この蒼空、この世界。 明日、聖域は、新世代の黄金聖闘士たちを迎える。 Fin.
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