『氷河は、僕が行くって連絡を入れると、お店を休みにしてしまうらしくて』 二人の正体は探り出せなかったが、氷河の店に行列ができていない時には、瞬が氷河のバーに来ていること、行列ができていない時に階段を下りていけば、そこで 瞬(と氷河)に会えることは わかった。 奇妙な二人。綺麗すぎる二人。何か恐ろしい力を備えた二人。危険の香りのする二人。 何者なのかは わからない。 だが、あの二人が普通の人間でないことだけは わかる。 二人が その身にまとっている危険の香りが、俺を惹きつける。 危険なことは わかっているんだ。 だが、だからこそ、俺は その危険が何なのかを確かめずにはいられなかった。 翌日からまた 女共が行列を作り出した氷河のバー。 次に その行列が消えたのは、俺が初めて二人に出会った日から3週間後のある日。 俺は店内には入らず、バーのドアを見張って――そのドアから出てきた瞬のあとをつけはじめた。 時刻は 夜の10時過ぎ。 ちょうど 飲みの一次会が終わった酔客で 通りがごったがえしている頃合い。 瞬のあとをつけるには 好都合だった。 氷河のバーのあるビルを出た瞬の歩みは、ゆったりしたものではなかったが、特に急いでいるふうでもなかった。 酒が入っているから、タクシーか電車で移動するだろう。 タクシーに乗り込まれたら まずいが、チャンスは今夜だけではないし、俺も うまくタクシーを拾えたら追いかければいい。 その程度の気持ちで、俺は瞬のあとをつけていたんだ。 瞬は、駅にも大通りにも向かわなかった。 いったい どこに行くつもりなんだ。 瞬は、まるで意識して人通りの少ない道を選んでいるかのように、どんどん人気のない方に歩いていく。 15分ほど あとをつけて――俺は、自分が いつのまにか 車がすれ違えないような細い通りに入り込んでいることに気付いた。 この先にあるものは いったい何だろうかと、俺が考え始めた時。 ふいに、瞬の姿が 俺の前から消えた。 曲がり角でも何でもないところで、本当に突然、俺の目の前から ふっと 瞬の姿は消えてしまったんだ。 もしかしたら、そこに異次元空間につながる穴でもあったのかと、俺は半ば本気で思ったさ。 俺が惹きつけられていた危険は、非合法行為じゃなく、SF的な何かだったのかと、本気で。 幸か不幸か、俺が惹かれた危険は、SF的な何かじゃなく――別の何かのようだったが。 「僕に何か ご用ですか」 俺は――信じられないことだが、いつのまにか瞬に後ろを取られていた。 SFより あり得ない。 俺は そう思った。 そこは 車が入れない遊歩道で、申し訳程度の遊具が置かれた 細長い公園になっていた。 その段になって、俺は、自分が 瞬によって そこに誘い込まれたんだということに気付いたんだ。 平和な日本に来て、俺の判断力は かなり鈍っていたらしい。 俺の力の最盛期は、確かに もう終わったんだ。 こんな醜態をさらすなんて。 だが、こんなことをするんじゃなかったという後悔は、俺の中には生まれてこなかった。 最盛期が過ぎ、俺の人生は下り坂に差しかかっている。 どうせ俺は もう、坂を転がり落ちていくしかない人間で――もう強くなることはできない人間、衰えていくしかない男なんだ。 瞬は――こんなことをしでかした俺の存在を消し去ろうとするんだろうか。 だとしたら――どん底に落ちる前に死ねるのなら、それはそれで嬉しいことだ。 しかも、こんなに綺麗な花を見ながら死ねるのなら、それは最高の死に方だ。 「あんた、何だ」 恐れの感情はなく、俺は瞬に尋ねた。 瞬が困ったように、 「せめて、何者なのかと訊いてください。僕、怪物にでも見えます?」 と、答えてくる。 「見える」 「人間ですよ。ごく普通の。僕は そうです。でも、あなたは――」 綺麗な花。 頼りない街灯しかない場所でも美しく輝いて見える花。 瞬は、若さと生気に輝いている美しい花だ。 しかも、強い。 おそらく、俺よりずっと。 「あなたは、銃を扱われていたこともあるようですね。どういうご職業に就かれているんですか」 瞬の声は あくまで優しくて、俺は 問い詰められているような気にはならなかった。 むしろ 気遣われているような、そんな気がした。 威圧感は全く感じない。 だが、得体の知れない力を感じる。 神とか天使とかいうやつは こういうものなんじゃないかと、俺は馬鹿なことを考えた。 俺は、そして、瞬に問われたことに答えたんだ。 つまり、俺の職歴について。 刑事、公安警察官、傭兵、SP。 瞬に問われたからじゃない。 俺は――俺自身が話したかったんだ。 俺がどんな男なのか、瞬に知ってほしかった。 もしかしたら、得意げに、俺は瞬に語っていた。 俺は、少なくとも、この平和な日本に ごろごろしている、普通の、詰まらない、平凡な男じゃないことを、瞬に知ってほしくて。 危険好きが高じて、瞬のあとをつけ、こうして俺の人生で三指に入る失態を演じてしまったところまで話して、俺は初めて 長い息をついた。 そして、 「一般の人ではなさそうだと思っていました」 と、にこやかに瞬に言われた時、俺は、自分の経歴を得意げに瞬に語ったことを後悔した。 瞬は感心したように、そんなことを言ってくれたが、俺にはわかったんだ。 俺の“普通でない”経歴など、この綺麗な人間には、鼻で笑う程度のものでしかないんだってことが。 だが、俺が“普通の人間”じゃないんだと、ありふれた“一般の人”ではないんだと、瞬に思ってもらえるだけで嬉しい。 俺は そう感じていた。 意識せずに――俺は、俺より強い人間に、俺という存在を認識してもらえたことを喜んでいた――のかもしれない。 本当に何者なんだ。 俺に そんなことを感じさせる、この綺麗な花は。 瞬は 普通の人間じゃない。 それだけは確かだ。 俺は いろんな人間を知っている。 あまり一般的ではない これまでの人生の場面で、俺は、最底辺の人間からトップクラスの人間まで、様々な人間に出会ってきた。 政財界のトップ、学者、犯罪者――狂信的なテロリスト、殺人犯やマフィア。 もちろん、ひたすら虐げられるだけの人間にも大勢。 俺は、善人も悪党も知っている。 俺は、いろんな人間を見、接してきた。 それこそ、世界中の人間が その名を知っているような要人だって、幾人も知っている。 瞬は、それらの どこに分類すべき人間なんだろう――? 「俺の経験では――超一流の人間の共通点は“どんな馬鹿な人間の話も、にこやかに微笑んで聞いてくれる”だ。それで、自分を認めてもらえたと思い込んだ馬鹿者を、自分に心酔させる。あんたは そういう人間の一人のように思える。この俺にべらべらと 自分を語らせて――いや、それは俺が勝手に語ったんだが……。だが、その若さで、それはあり得ない。あんたは何だ――何者だ」 「何か誤解なさっています。僕はただの人間の……医者で――」 「ただの医者だと? 嘘をつくな。あんたが ただの医者なら、アメリカ大統領だって、ただの中年親父だ」 「……」 そこいらの街で いきがっているガキのように、俺は瞬に食い下がっていった。 俺だって、わかってるんだ。 人間てやつは、自分よりレベルの低い人間の立ち位置は正確に把握できるが、自分より高いところにいる人間のレベルを正確に把握することはできないものだってことくらい。 たとえば チェスや将棋等の勝負事で、初心者は、その世界のトップレベルの人間が 自分より強いことはわかっても、その強さの差がどれほどのものなのかは、決して把握できない。 ただ漠然と、自分より強いんだろうと思うだけで。 今の俺が そうだ。 瞬が俺より強いことはわかる。 だが、二人の間に どれほどの力の差があるのかは、皆目 わからない。 俺が瞬に食い下がっていくのは、俺も それなりに実力のある人間だと思っていたから――その差が わからないほど 俺より上にいる人間の存在が癪で たまらないからだ。 へたに自信とプライドがあるせいで、そんな人間がいることが許せない。 自分が 実は大したことのない人間だということを認めたくない。 まったく、ガキの所業だ。 だが、これから衰えていくしかない俺。 今、瞬の力がどれほどのものなのか、俺との差がどれほどのものなのかを知ることができなければ、俺は結局 その程度の人間だったんだということになって、俺の これまでの人生は何だったのかが わからなくなってしまうじゃないか。 今 それがわからなければ、誰よりも強くなろうとして、そのために生きてきた、これまでの俺の時間が無意味だったことになるような気がして――俺は必死だった。 瞬が――この綺麗な花が、俺がなりたかったもの――人類最高レベルの強さを持つ人間のような気がしたから。 もちろん、それは 瞬が俺と同じ人間だったとしての話だが、瞬は 俺が欲しかった力を持つ者のような気がした。 俺のなりたかったもの――誰よりも強い人間。 瞬は きっとそうだ。 「困りましたね。僕は本当に――」 瞬が、言い掛かりをつけられて戸惑っている無邪気な少女のような顔を、俺に向けてくる。 だが、俺は、そんな可愛い顔なんかに騙されないぞ。 瞬の正体を知って、そのせいで殺されることになってもいい。 俺は知りたいんだ。 俺の欲しい力を持つ者の正体を。 |