「日本に滞在中は、こちらの客用寝室を使ってください。バスルームは それぞれの部屋についています。朝食は食堂で、朝の7時。お昼は12時、夕食は7時。いらない時は事前に厨房に連絡を入れてください。図書室や視聴覚室は、西の棟の1階にありますから、そちらも自由に使ってください。僕たちは自室にいる時以外は、大抵 東の棟の1階のラウンジにいます。お掃除は、僕たちは自分たちでしているんですけど、カノンさんはお客様なので――」
「その“カノンさん”という呼び方は、いったい どこから出てきた呼び方なんだ。カノンでいい。俺は、生活指導なんて柄じゃないんだ」
「そんなことを言わないでください。氷河や星矢は、僕なんかが言っても、全然 生活態度を改めてくれないんです。こういうことは、やっぱり大人の人でないと――」
「そんなにキグナスの飲酒はひどいのか。酒に飲まれるタイプなのか」
「俺がビールごときに飲まれたりなど――いや、俺は、アルコール度数10パーセント未満のソフトドリンクしか飲んでいない」

氷河は、カノンの思い違いを正すために 自らのエネルギーを使いたくなどなかった。
にもかかわらず、氷河が 瞬とカノンの会話に横から口を挟んでいったのは、城戸邸のあれこれをカノンに説明しながら、瞬が不自然なまでに白鳥座の聖闘士の飲酒に言及するからだった。
そもそも氷河は、アルコール度数10パーセント以下のソフトドリンクを しばしば口にしているわけではなかったのである。
むしろ、滅多に口にしなかった。
少なくとも、瞬にキスをする機会がある時には 決して口にしない。
つまり、瞬が城戸邸にいる時には 絶対に口にしない。
瞬が それを好ましく思っていないことを知っているのに、瞬が好ましく思っていないことを 白鳥座の聖闘士がするわけがないのだ。

氷河が“ソフトドリンク”を たしなむのは、せいぜい年に1、2度あるかないか。
何らかの事情で、アンドロメダ座の聖闘士か白鳥座の聖闘士が単独での行動を余儀なくされた場合に限られていた。
要するに、二人が二人でいられない時の憂さ晴らしである。
瞬がそれを知っているのは、紫龍の失言のせい。
それも一緒に飲んでいた紫龍が つい洩らしてしまった、意図せぬ 告げ口のせいだったのだ。
それがなければ、瞬は今でも、白鳥座の聖闘士が酒を飲めることさえ知らないままでいたはずだった。

ともあれ、その段になって カノンは、彼の来日をあまり歓迎していないらしい氷河が 瞬の案内に随従してきていることの奇妙に気付いたらしい。
まるで嬉しくなさそうに――ほとんど迷惑顔で、カノンは白鳥座の聖闘士に尋ねた。
「貴様、なんでついてくるんだ。親切心からではないようだが」
「稀代の悪党から、瞬の身を守るためだ。決まっているだろう」
吐き捨てるような氷河の返答を聞いて、カノンが得心したように頷く。
「ああ、そういうことか。そうだな。おまえたちは、黄金聖闘士たちよりアテナに忠実な、まさに聖闘士の鑑、俺のような落ち零れと違って、エリート中のエリートだったな。俺を信じられなくても、無理はない」
「そんなこと、ありません! 氷河は そういう意味で言ったんじゃないんです。氷河は、誰に対しても こうなんです!」

カノンの誤解に気付いた瞬が、彼の誤解を解くべく、すぐに訂正を入れる。
もちろん、それは誤解だった。
氷河は、カノンが聖域への(元)反逆者だから ここにいるのではない。
カノンが もし 何の力も持たない善良な一市民でも、もちろん 氷河は ここにいるのだ。
氷河の不信には 即座に合点がいったらしいカノンが、瞬の訂正の意味するところは すぐには理解できなかったらしく、怪訝そうに眉をひそめる。
「誰に対しても? なぜだ」
「それは……その……」
答えを言い淀むことになった瞬の代わりに、氷河は実に堂々とした態度で、
「俺が瞬を愛しているからだ。当然だろう」
と答えた。
カノンが ますます事情が呑み込めない顔になる。

「こんな顔をしていても、アンドロメダは男子だろう」
「アンドロメダではなく、瞬と呼んでください」
解きたい誤解は解けたので――瞬は悪びれることなく にっこり笑って、名で呼ぶことをカノンに求めた。
「この家にいる者は皆、生活が乱れているということか」
カノンがやっと、城戸邸に起居する聖闘士たちの事情を正しく(?)理解する。
たとえ過去に どんな過ちを犯したことがあっても、その過ちを過ちと認め 心から悔いている人間に いつまでも不信の目を向けるような人間は ここにはいない。
その過ちを皮肉や嫌味の材料として利用することはあっても、それは それだけのことなのだ。
その事実をカノンにわかってもらえれば、他のことはどうでもいいという考えの瞬は、にこにこ笑いながら、自分の果たすべき務めに再び 取りかかった。

「明日、スカイツリー観光に行きましょうね。ついでに浅草寺もまわれますし」
「なに?」
「ディズニーランドの方がいいですか? それとも、歌舞伎や能の方が 好みでしょうか」
「俺は観光に来たわけじゃない」
「観光地には興味はないんですか? じゃあ、お寿司、天ぷら、すき焼き、ラーメン」
「食い物にも興味はない」
「ということは――秋葉原や池袋の散策?」
「アキハバラ? そこに何があるんだ」
「え?」

問われて、瞬は言葉に詰まった。
幼い頃に 聖闘士になるべく修行地に送られ、聖闘士になってからは戦いに次ぐ戦いの日々。
瞬は 外国からの観光客が好む観光地や名所名跡については、外国人観光客より詳しくない。
氷河は、 瞬とのデートのために その辺りの事前調査は熱心に行なっているようなのだが、カノンの おもてなしには 彼の協力は仰げそうにない。
だから、瞬は、まずカノンの好みをリサーチして、詳細は その後で調べるつもりでいたのだ。

「あの……本当は 僕もあまり詳しくはないんですけど、アキハバラは 外国からの観光客の定番ルートになっていると聞いています。ショッピング……するところなのかな。とにかく、でも、外国からの観光客は 大抵 そこに行くらしいです」
「……」
カノンの沈黙と 視線とが肌に刺さる。
これほど頼りない観光ガイドもないと思われているのだろうと、瞬は身体を縮こまらせることになった。
「す……すみません……不勉強で。あの、僕、観光とか したことがなくて……」
「……」
「僕、人と戦うのは嫌いなのに、戦うこと以外に能がなくて……あ、でも、大丈夫です。迷子にさせたりはしませんから」
「……」
「せっかく こんな遠いところまで いらしていただいたんだから、楽しんでいただこうと……。沙織さん――アテナにも そう言われてますし……」
「……」
瞬の必死の弁明に、カノンは 相変わらず沈黙の答えしか返してこない。
それは 無責任に意気込んでいた観光ガイドへの怒りなのか軽蔑なのか。
瞬は、それでなくても小さく丸めていた身体を 更に小さくすることになったのである。

そこに。
「観光客のいないところがいい」
声に抑揚はなく、言葉も かなり素っ気ないものではあったのだが、トーキョー観光に前向きな(?)答えが、ついに カノンから返ってきたのである。
もしかしたら――もしかしなくても 十中八九、カノンはトーキョー観光に興味はない――気乗りはしていない。
もしかしたら 彼は、戦うこと以外に能のない青銅聖闘士に哀れを催して、しぶしぶ付き合ってやる気になっただけなのかもしれない。十中八九、そうだろう。
だが、そうなのだとしたら なおさら、瞬はカノンの優しさが嬉しかったのである。
そうしようと思えば、カノンは、頼りない観光ガイドなど放っぽって、自分のしたいことだけをし、自分のしたくないことは断固として拒否することもできるのに、彼は そうしなかったのだ。

「はい!」
カノンの優しさに力づけられて、瞬は 明るく元気な話をした。
笑顔全開の瞬を見ても、カノンは ほぼ無表情。
カノンを見る氷河の視線には、そろそろ敵意が混じり始めていた。






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