そんなふうにも、飛び入りの平尾丸を迎えた瞬とナターシャ(と氷河)の暮らしは、当初の危惧が杞憂だったように平穏に営まれてることになったのである。
“マーマは綺麗”なことを平尾丸が認めさえすれば、ナターシャには“突然できた お兄ちゃん”は むしろ歓迎すべきものだったらしい。
平尾丸の登場が原因で 氷河が赤ちゃん返りしてしまったのは想定外だったが、瞬は それは綺麗さっぱり無視した。


角髪を切るわけにはいかないので 解いて一つにまとめなければならなかったが、現代の服を着せると 平尾丸は ちゃんと この時代の子供に見え、外に連れていっても特段の問題は生じなかった。
エレベーターを表して“上下する便利な輿”、自転車は“骨だらけの馬”、自動車は“ネズミより素早く動く牛車”、スーパーやコンビニは“屋根のある(いち)”。
東の国への平尾丸の総評は、
「東国は洗練されていない野蛮で うらぶれたところと聞いていたが、京の都にない珍しいものがたくさんある。この国もまた 素晴らしい都じゃ」

平尾丸は、すべてを京の都と東国の違いと解して、自身を竜宮城に招かれた浦島太郎に なぞらえているようだった。
その上、日々 目新しいものに触れ、新鮮な驚きを感じられることは、歌を詠む心も養う。
平尾丸は、1日に1首や2首は新しい歌を作って、瞬とナターシャに披露してくれた。
平尾丸の詠む歌は、ナターシャの知っている歌――いわゆる唱歌童謡――とは違っていたので、ナターシャは当初 聞き心地が悪そうにしていたのだが、平尾丸が歌を詠む際の独特の節回しに慣れるにつれ、平尾丸の作った歌を 彼と一緒に楽しそうに歌うようになっていった。


そんな ある日。
ナターシャと共に公園に遊びに出ていた平尾丸が、瞬も知っている歌を口にした。
「春の苑 紅におう桃の花 下照る道に 出で立つ少女(おとめ)

「丸ちゃん、イミはー?」
平尾丸が歌を詠むたびに発するのが恒例になっていたナターシャの合いの手(?)。
これまでは いつも丁寧に自作の歌に託した思いをナターシャに説明してやっていた平尾丸が、今日は あからさまに顔をしかめた。
「意味も何も……。知らぬのか? 大伴家持が詠んだ、万葉集屈指の名歌だというのに」
「オトナノ ヤキモチ?」
「オオトモノ ヤカモチじゃ! 桃の花が輝くように咲いている道に立つ可憐な乙女を歌った歌。瞬を歌ったような歌じゃ」
「桃の花は、おひなさまの頃に咲くんダヨ。今は咲いてないヨ」
「だが、瞬は薄紅色の花であろう。優しくて美しい、温かい春の花じゃ」
「ンー。ソッカ。ソーダネ!」

パパやマーマを褒められることは、ナターシャには 自分を褒められるのと同じ。
初めて出会った時には、マーマを“痩せっぽちで綺麗じゃない”と言っていた平尾丸が、今では その考えを完全に捨ててしまっている。
やはり自分は正しかったのだという思いがあるのか、ナターシャは 嬉しそうな笑顔になった。
「ナターシャは 爪紅つまべにの花じゃ。可愛くて華やかで元気」
瞬を春の花に例え、そこで やめないところが平尾丸の鮮やかなところ。
それは 彼の気配りなのか、平等精神なのか。
どちらであるにしても、いつも 大人の顔色を窺っていなければならないような生活が、平尾丸に その才を培わせたのだろう。
それは切なく悲しいことでもあったが――いずれ 平尾丸は 相当の人たらしになるに違いないと、瞬は思ったのである。

「ツマベニー?」
聞いたことのない花の名だったのだろう。ナターシャは 首をかしげて、物知りのマーマの顔を見上げてきた。
「爪紅っていうのは、鳳仙花の花のことだよ。赤くて可愛い花が たくさん咲くの。ちょっと つつくと、種が ぽんっと弾けるんだよ」
「タネがポン! ホーセンカ、ポン!」
そのフレーズが大いに気に入ったらしいナターシャが、ポンポン言いながら、突然 公園の広場を走りまわり始める。

「ナターシャ!」
爪紅の花の 何が そんなに受けたのか、平尾丸には まるでわからなかったらしい。
わからなかったらしいが、ナターシャの はしゃぐ心が、平尾丸にも伝染ってしまったのだろう。
結局 平尾丸も ポンポン言いながらナターシャを追いかけ始め、 二人は公園の広場で 駆けっこを始めてしまったのだった。



帰宅すると、走り回って疲れたらしい子供たちは すぐにお昼寝モードになってくれた。
瞬が 二人の微笑ましいエピソードを氷河に知らせると、自分には到底 真似できない平尾丸の女たらし振りに(?)、氷河が 思い切り渋面になる。
そうして。
「このガキを、早めに元の世界に帰さないと、ナターシャが寂しがることになるかもしれないな」
それは オトナのヤキモチなのか、真面目な憂慮なのか。
瞬でも判断に迷うほど難しい面持ちで、氷河は低く呟いた。






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