「それでいいのではないか? 『自分がどんな死に方をしたいか』は、『どんな生き方をしたいか』と同じことだ」 冷ややかにしか聞こえない氷河の声。 だが それは、瞬の前に置かれたカクテルのように甘く、油断をしていると掴まって逃げられなくなる。 氷河の戦い方は いつも、瞬のそれとは違うのだ。 おそらく、氷河の戦い方の方が、対峙する敵にとっては危険である。 氷河の罠に嵌まり込まないよう、瞬は意識して、軽めの微笑を作った。 「氷河には あるの? 希望の死に方」 「腹上死だな」 ほとんど 間を置かず、答えが返ってくる。 同じく、ほとんど 間を置かず、瞬は彼を睨みつけた。 「氷河。それに付き合わされる僕の立場を考えてないでしょう!」 「おまえが俺を検死してくれればいい。俺が大いに満足して大往生を遂げたことを、おまえに確かめてもらえたら、それが俺の最高の死に方だ」 「氷河が本心から、それを望んでいるのなら、そんな死に方をさせてあげたいけど……」 氷河が 彼の愛していない敵に倒されるよりは、その方が ずっといい。 瞬は真面目に応じたのだが、その答えを聞くなり、氷河は(おそらく今日 初めての)微笑を その唇の端に刻んだ。 「以前のおまえなら、真っ赤になって、『そんなハシタナイことを言う人とは、しばらく口をききません!』と怒鳴って、席を立っていたところだ。これも 医学部入学の恩恵か。いや、以前のおまえも可愛くてよかったが」 からかうような口調ではなく、どこまでも淡々とした声音で、真面目としか言いようのない顔で、そんなことを言える氷河の脳を解剖してみたい。 言語機能の後頭連合野と 感情を支配する前頭連合野を繋ぐシナプスに、氷河は絶対 余人とは異なる箇所があるはずだと、瞬は踏んでいた。 もちろん、そんな氷河が嫌いなわけではない。 「じゃあ、僕、帰る。僕のいるところに お客さんが来たら、氷河、クールなバーテンダーの振りがしにくいでしょう」 『振りをしているわけではない』と言おうとしたらしいが、結局 氷河は その言葉を声にはしなかった。 振りなのか、振りではないのか。そこのところが、氷河は自分でも よくわかっていないのだろう。 代わりに 彼は、瞬の帰る場所を指定してきた。 「今夜は俺の部屋だぞ。予行演習をしよう」 『何の?』と問い返すと、ハシタナイ話を蒸し返すことになる。 問い返さず、瞬はカウンターチェアから立ち上がった。 「スカイツリーは、地下部分の工事が終わったんでしょう? もうすぐ世界一高い塔が出現する。この辺りにも、浅草とは別の種類の人が押し寄せてくるだろうね。蘭子さんは先見の明がある」 「俺が この店に慣れた頃に客が増えるという算段だ。普段は おちゃらけているが、ママは俺よりずっとクールで計算高いぞ」 「情が先に立つところは、氷河と同じ。氷河は いい人に巡り会えたよ」 『人間にとって 最大の贅沢とは、人間関係における贅沢だ』と言ったのは誰だったか。 そういうことに関しては、氷河は いつも運がいい。 氷河が適度な距離を置いて 人と付き合うことができないのは、人間関係において、彼の運がよすぎるせいなのだ。 そして、その幸運が 必ずしも 幸福に直結しないところが、氷河の不運。 だからこそ――氷河が 人と関わりを持つことを恐れる人間にならないよう、瞬は 自分を氷河の幸福な仲間にしておかなければならないのだと思っていた。 今のところ、それは うまくいっている。 誰とでも すぐに打ち解けるわけではないが、氷河は新たな人間関係を構築することのできる大人になった。 今のところ、自分たちの人生は順調。 望み通りの死に方をすることも、決して叶わぬ夢ではない。 そんなことを思いながら、瞬は氷河の店を出たのである。 一度 自宅に戻るか、氷河の部屋に直行するか。 どちらにしようかと迷って、街の雑踏に視線を向けた時。 夕刻の、地下鉄の駅に向かう人々の流れの中に、瞬は 思いがけない人の姿を見付けた。 街の音が、一瞬で消える。 その人以外の すべての人間の姿が、ただの影になる。 その人以外の 世界のすべてから、色が消え、熱が消え、命さえ消え、この世界に生きているのが、その人だけになる。 (星矢……!) 瞬は、自分の小宇宙の制御ができなくなった。 |