「おはようございます、兄さん、星矢、紫龍」

兄一輝の快い公認を得たと信じている瞬は、悪びれた様子もなく堂々と氷河を従えてダイニングに入ると、先に食卓についていた一輝たちに、その日の青空のように爽やかな笑顔で朝の挨拶を投げかけた。

「ああ」

「おっはよー、氷河、瞬。夜が短くなって大変だな〜っ!」

「…………。……いかに大変なのかの報告はしなくていいからな」

一輝の無愛想な返事。
既に突き抜けた感のある星矢の笑顔。
そして、まだ何もされていないし、何も言われていないというのに疲れきった様子の紫龍のうめき。

短い夏の夜のせいで出遅れた二人を待たずに朝食をとっていた三人の聖闘士の朝の挨拶は、文字通り三者三様だった。



さて、ところで。

瞬の朝食メニューは毎日決まっている。
すなわち、“シェフの本日のおススめケーキ”とグリーンサラダ。

「朝はたくさん糖分を採った方がいいんですよ。脳が活性化するから」
――と主張して、朝から甘ったるいケーキをぱくぱく食べる弟を、なるべく見ないで済むように、一輝が食卓に新聞を持ち出す。

朝は“白米・味噌汁・シャケの塩焼き”派の一輝には、いかに最愛の弟とはいえ、瞬のこの超甘いもの好きだけは理解できなかったし、正視することもできなかった。
自分の向かいの席で、3個目のケーキに挑みだした瞬と、その隣りに座っている金髪男とを、広げた新聞で視界から消して、ほっと息をつく。


その広げた新聞越しに一輝の耳に届けられたのは、
「氷河。氷河も、コーヒーにはお砂糖入れた方がいいよ。ブラックコーヒーって、あんまり胃に良くないんだって」
という、瞬から氷河への、親切この上ない食事指導だった。

新聞越しに気配を窺っていると、どうやら氷河は瞬の指導に従って、コーヒーに砂糖を入れたらしい。
それも、瞬に言われるがまま、スプーンで5杯も。

しかし、一向にそれを飲む気配はない。
彼は、スプーンでカップを掻きまわし、必死になって、その悪夢の液体を飲まずに済む方法を模索しているようだった。


その状態は、5分間ほど続いた。
氷河の苦悩が始まって5分後。ふいに一輝が席を立ち、テーブルの横のワゴンの上のコーヒーサーバーから新しいカップにコーヒーを入れて、氷河の前にドンと置く。


「………………」×4


一輝が他人の給仕を――しかも、よりにもよって氷河の窮地を救う形で――するという、違和感に満ち満ちた光景を見せられて、星矢と紫龍が自分の目を疑う。

氷河などは、完全に全身を硬直させていた。
彼が、自分の目の前に置かれたコーヒーは毒入りだと信じているのは明白である。


「兄さん?」

一輝をこの上なく優しい兄と信じている瞬にすら、一輝のとった行動は平生の兄らしいものとは思えなかったらしい。
不思議そうに首をかしげた瞬に、一輝曰く、

「今日は6月4日で、虫歯予防デーなんだそうだ。氷河は甘いものは控えた方がいい。普段食いすぎてるんだから」

これは、虚心に聞けば、氷河の身体を気遣う思いやりの言葉である。
氷河の甘いもの嫌いを知っている者には、氷河への助け船にも取れた。
なにしろ、氷河の朝食は毎日コーヒーだけなのだ。そのコーヒーが飲めなくなるということは、つまり朝飯を奪われるということなのだから。


『甘い』と書いて『うまい』と読む。
この世の中に甘いものを嫌う人間が存在するはずがないと信じている瞬は、氷河が甘いものをあまり食べないのは、彼が人生に対して禁欲的な姿勢を貫こうとしているからなのだろうと、至極真面目に誤解していた。

で、言う。
「甘いもの食べてばかりいるのは僕ですよ。氷河は普段は我慢して、そんなに甘いもの食べないから、虫歯の心配なんていらないんです。ね、氷河」

氷河は、それが瞬の言葉なら、その内容の正否を問わずに頷く。
瞬の意見に異議を申し立てるようなことをする氷河ではない。

一輝は、そんな氷河に一瞬横目に視線を流し、すぐに瞬に向き直った。
「甘いものばかり食っているおまえ自身が甘くなっているだろうが」

「え?」

ちょっと間を置いて、氷河が普段食べている“甘いもの”が何なのかを理解した瞬が、ぽっ☆と頬を薄紅色に染める。

「いやだ、兄さんたら、そんなこと言うなんて」

星矢や紫龍の前ではあまり見せない瞬の羞恥心、ではある。


恥ずかしそうに睫毛を伏せた瞬に、一輝は曖昧な笑みを浮かべただけだった。




いずれにせよ。
事実の報告だけをするならば、氷河はその朝、瞬に言われて砂糖を入れたコーヒーにも、氷河の虫歯を心配して一輝がいれたコーヒーにも、全く口をつけなかった。






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