そもそも氷河がこの辺鄙な村にやってきたのは、彼の父親の遺言を実行するためだった。
この村に行き、己れの生き方を選べと言い残して、氷河の父は逝った。

だが、実際にこの村にやってきてはみたものの、氷河には特に何もすることがない。
父の生家だという建物にも行ってみたが、それは他の村人たちが生活しているものと大して違わない“小屋”で、そこに起居することは氷河には到底できそうもなかった。

しかし、貧しくつましいその村が豊かで便利な都会に劣ると、一概に言ってしまうことは、氷河にもできなかった。
時折出会う村人たちは、誰もが粗末な身なりをしていたが、それを不満に感じている様子もなく、総じて穏やかな顔つきをしていた。
昼夜を問わない喧騒の中で、生き馬の目を抜くように暮らしている都会の人間たちとは比べるべくもない。
どちらが幸福そうに見えるかと問われれば、氷河は父の故郷の村の人間たちに軍配をあげざるを得なかった。

人口300人弱、人の住んでいる家は100軒足らず。
過疎の村では仕方のないことなのだろうが、子供の姿は少なく、高齢者が多い。
たまに見掛ける子供たちは都会の子供たちと大して変わらず、やんちゃな表情を見せてくれたが、中学生以上になると、既に大人たちと同じように穏やかな顔つきになっている。
不安定で、むしろ反抗心を露わにしている方が自然な年頃の子供たちに、大人たちと同じ印象を与えられることに、氷河は奇妙な不自然さを感じた。

氷河は、最初のうちは、それでも、こののどかな田舎の風景を楽しんでいられたのである。
村人たちが、いかにも異質な姿をした人間に、偏見の目を向けることなく声をかけてくれることも、好ましく心地良いものと感じていた。

だが、やがて、穏やかで偏見のない村人たちのその態度が、そういう“好ましさ”に慣れていない氷河の居心地を悪くし始める。
この村の住民は、男性も女性も若者も老人も、みな“仏様”のような表情の持ち主だった。
それこそ、判で押したように。

ここは極楽の内にある村なのかと、蓮ならぬ蓮華草の野原を眺めながら、氷河は苦く笑ったのである。
この村は、穏やかすぎ、静かすぎ、醜いものがなさすぎて居心地が悪い──と感じ始めている自分自身を。





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