父の故郷で、微笑む仏像たちに囲まれているような錯覚を、氷河は覚え始めていた。
そして、その唯一の例外が瞬だった。
瞬は、氷河に、一時の愛想笑いすら見せてはくれなかった。

「この村の人たちは、みんな穏やかで親切な人ばかりだ」
『君以外は』──暗にそう言ったつもりだったのだが、その皮肉が瞬に通じたのかどうかは、氷河にはわからなかった。

瞬は無言で、用意された夕餉の膳から、何も挟んでいない箸を口許に運ぶ振りをしている。
この村に来てから氷河は、毎日の食事だけは、瞬と同じ座敷でとっていたが、瞬の食の細さはほとんど病的だった。

「村の入り口にある陽石といい、異様に立派な鳥居といい、内と外の区別をつけたがる因習の残る、もっと閉鎖的な村なのだと思っていたんだが」
村人たちの打ち解けた態度は、意想外すぎて気味悪いほどだ──とまでは、さすがに氷河も言葉にはしなかった。

「そうですか……そうでしょうね」
瞬の返事は素っ気無い。
無骨な村人たちより、瞬の笑顔こそを見てみたい──という氷河の希望は、容易には叶えられそうになかった。


瞬はいつも青ざめていた。
学校に行っていていいはずの年齢だというのに、瞬は、逆に、この神社に併設されている学校で、小さな子供たちに読み書きを教えていた。
会話にも議論にもならないような断片的な言葉のやりとりだけでも、瞬がへたな大学生以上の教養を備えていることは──多分に偏向のきらいはあったが──氷河にもわかった。
どこで勉強したのかと尋ねると、この神社には図書室も併設されているという答えが返ってきた。

瞬には両親がないようだった。
この神社に、瞬は一人で暮らしている。

神殿や拝殿、氷河と瞬が起居している別棟、社務所等の各種施設の整備・清掃は、村の男たちが交代で受け持っていた。
食事の準備等、瞬の日常の世話は女たちが担当している。

由緒のある家の若様か何かなのかと問うと、瞬は、
「僕はただの孤児です」
と、感動の色も感傷の色もない口調で、返事を返してよこした。
「僕の境遇に同情してくれた村の人たちが、この神社の管理という名目だけの仕事を僕に与えてくれて──僕は、この村に養ってもらっているようなものです」
──と。

だが、それにしては、瞬は、村人たちから下にも置かないほどに行き届いた世話を受けていた。
ほとんど手のつけられない三度三度の食事は贅沢なものだったし、衣服も、他の村人たちのそれよりははるかに上等のものである。

どこぞの高貴な御方の落とし胤という事情でもあるのではないかと、カマをかけてみたりもしたのだが、氷河はいつもはぐらかされるばかりだった。





【目次】【二章】