男の力は異様に強かった。 両手を封じられて身動きもできずにいた瞬が、自分の左の手が自由を取り戻していることに気付いたのは、男の吐く息が坂を登る蒸気機関車のように大きくせわしなくなり始めた頃だった。 何のために彼が瞬の腕を解放したのかに気付いて、瞬は背筋を凍りつかせたのである。 瞬の左手を掴みあげていた彼の手は、彼が身に着けているズボンのベルトを外し、瞬を汚すための道具を露わにするために、もぞもぞと彼の股間で動いていた。 (いや……! いやだ……こんなの……!) ──罪喰いは、瞬が生きていくために選んだ道だった。 だが、瞬は、その時、氷河でない人間にそんなことをされるくらいなら死んだ方がましだと、本気で思ったのである。 「離せ……っ!」 瞬は、彼を突き飛ばした──突き飛ばそうとした。 罪喰いになって初めての、反抗だった。 「氷河……っ! 氷河−っっ!」 氷河をこんなことに巻き込みたくはなかったが、彼の名を呼ぶことが、この場から逃れるために瞬にできる唯一のことだった。 罪喰いの儀式の後には疲労困憊の 男の身体の重みから逃れようとして、彼の下で瞬はもがいた。 彼が、瞬の非力な抵抗の様を見て、羽をもがれて飛べない蝶をいたぶる子供のように楽しそうな微笑を口許に刻む。 彼は、そして、もはやかろうじて瞬の肩に掛かっているにすぎない神のための装束の裾をたくしあげて、瞬の腰にむしゃぶりつこうとした。 「瞬っ!」 浅ましい行為に没頭している男の背後ほど隙だらけのものはない。 瞬の悲鳴を聞いて修羅場にやってきた氷河は、その不埒な男を瞬から引き剥がし、殴り倒した。 山間の村での粗野な生活のために無骨でたくましい体躯をしていても、彼と氷河とではそもそも上背が違う。 瞬に覆いかぶさっていた男は、水田から路上にあがってきていた蛙が自動車のタイヤに撥ね飛ばされるように、神殿の壁に叩きつけられた。 それでも、あくまでも瞬に執着し、未練がましく瞬の衣装にとりすがろうとする男の顔を、手の甲で張り倒して、氷河は、衣装ごと瞬を自分の胸の中に抱き寄せた。 「その粗末なものをしまえ! 見苦しいものを瞬に見せるな!」 氷河の蔑みの言葉より、瞬が氷河にすがりついていることの方が、暴行者にとっては屈辱的なことだったらしい。 ごそごそとみっともない仕草で、半ば露わにしていた下半身を衣類で覆うと、彼は、強かに壁に打ちつけられた肩を押さえながら、瞬に向かって毒づいた。 「瞬、おまえ、自分が喰った罪を、こいつに洩らしてるんじゃないだろうな?」 その言葉を聞いた瞬が、氷河の腕の中で、弾かれたように顔をあげる。 罪喰いがそんな疑いを持たれることの危険を、瞬は十二分に承知していた。 「村のみんなに言ってやるぞ! 罪喰いが外の世界の者と通じていると! どうなるかわかってるんだろうな!」 逃げ去る男の姿は無様だったが、彼が残していった捨て台詞は、瞬の心身を凍りつかせることができるだけの威力を持っていた。 |