自身の浅ましい妄動に吐き気を覚え、しかし、この男の前でだけは意地でも泣くものかと唇を噛みしめてから、瞬は彼に問うた。
「氷河は……どこ」

彼がアテナに味方するものとは思えない。
だが、敵なら――こんなことをして いったい何になるというのだろう。
「ここにいる」
「氷河の心はどこにあるのかと訊いてるのっ」
何よりもまず、それが大切なことだった。
自分が為してしまった醜行よりも、氷河の心を取り戻すことの方が。

しかし、彼は瞬の言葉を無視した。
まるで、答えるまでもないことだと言うかのように。
「誰にも余計なことは言わぬことだ。アテナにも仲間たちにも、無論、“氷河”にも。奴も知りたくはないだろう。汚してはならぬものと信じ、抱きしめることすらできずにいたおまえが、他の男の前に身体を開いて浅ましく喘いでいたなどということを知ったら、“氷河”はおまえに失望するぞ」

彼が口にした例え話に、瞬はぞっとしたのである。
今 自分の目の前にいる男と同じ冷たい眼差しを、“氷河”に向けられることは耐えられない。
瞬は全身を震わせ、と同時に心が凍りついた。
「“氷河”に知られたくなかったら、このことは誰にも言わず、これからも昨夜のように おとなしく“氷河”に抱かれているがいい」
「これからも……?」
彼は、では、これ以降も このおぞましい行為を重ねるつもりでいるのだろうか。
瞬は今になって初めて、自分が立たされている状況を明確に自覚した。
自分は彼に脅されているのだ――と。

「僕はそんなことは――」
「私の意識と氷河の意識を並立させることは不可能だから、おまえが私の下であさましく喘いでいる様を 直接氷河に見せてやることはできないが、私は私の記憶を氷河に解放することができる。自分でない男を咥え込んで よがっているおまえの姿の記憶など、氷河は欲しくはないだろう。それでいて、おまえを陵辱したのは奴自身なんだ。氷河はおまえを好いていたようだし、そんなことを知らされたら、奴は傷付き苦しむだろうな。おまえのみならず、自分自身をも軽蔑することになるかもしれん」
氷河の心がどこにあるのか――彼が瞬の問いに答えなかった理由が明白になる。
それはやはり、この男の中にあるのだ。

「だめ! それだけは……!」
我知らず すがるような口調になってしまった瞬に、彼は意地の悪い北叟笑みを見せた。
「おまえが私の言うことを聞いている限り、私は沈黙を守るつもりだが、しかし、それではおまえがつらいかな。自分が汚れていることを氷河に知られぬために 口をつぐむ――。さて、清らかなおまえの良心が、その卑怯な行為に耐えられるかどうか……」
「あなたは――」
瞬には彼の目的がわからなかった。
彼に脅されている者が沈黙を守ることと守りきれないこと――彼はそのどちらでも構わないと考えているようにさえ見える。

「決めるのはおまえだ。氷河にすべてを打ち明けて、自分の浅ましさを知らせ、軽蔑され、氷河自身をも罪びとにするか、あるいは、何も言わず 何もなかった振りを続け、おまえ一人が良心の呵責に耐え続けるか――。黙っていれば、おまえは秘密を持っていることに苦しむかもしれないが、氷河は平穏でいられるな」
「僕は……」
おそらく、瞬がそのどちらを選んでも、彼は一向に構わないのだ。
瞬がそのどちらを選んでも、傷付くのは 彼以外の誰かなのだから。





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