「あ……あなたの目的は何。あなたは誰」
彼の目的がわかれば、この尋常でない事態は解消されるだろうか。
瞬は藁にもすがる思いで、無理に気を張った態度で彼に問うた。

「見てわからないか? 氷河だ。目的はおまえを我が物にすること。いかにも氷河らしい目的だろう。他に目的などない」
「あなたのその言葉が真実だったとして、僕が訊いているのは、あなたが氷河の身体を操り、僕を蹂躙することで、あなたはどんな利益を得るのかということです……!」
「そうだな……。氷河をあざ笑うことができる――おまえたちをあざ笑うことができる」
「そんなことのために……?」

そんな目的があるものだろうか。
そんな無意味なことのために、これほどのことをする者が この世に存在するはずがない。
もし存在するとしたら、彼は、憎しみだけでできている人間であるに違いなかった。
「あなたは――氷河に倒された誰かなの」
しかし、そんな者にこれほどのことができるだろうか。
問うた側から、瞬は自分自身で その問いを否定していた。

案の定――の答えが、彼から返ってくる。
「この私が氷河に? これほど簡単にこの男を支配できる私が、氷河に倒されただと? 面白いことを考えるものだ」
「なら、誰なのっ」
「そう気色ばむものではない。可愛らしい顔がだいなしだ。もう一度、さっき私の下でそうしていたように、そそる泣き顔でも見せてくれれば、少しは哀れんでやるものを」

彼は答える気はないらしい。
瞬にはごまかしとしか思えない言葉を吐いて、彼はその手を瞬の頬に伸ばしてきた。
二度と、その手に陶酔などしたくない。
瞬は、その手を振り払った。
「氷河の顔で、氷河の声で、そんなことを言うな!」
「この顔が気に入らぬのか? おまえ好みの綺麗な顔だろう」
「黙れっ!」

眉を吊り上げた瞬に、彼は再度触れようとはしなかった。
ベッドのヘッドボードに掛けられていた“氷河”のYシャツを取り、それに袖を通してから、ベッドを降りる。
身仕舞いを整えると、彼は、裸身のまま呆然としている瞬に、自身の優越を確信した顔で告げた。
「今夜、また来る。今夜はもう闇を作る必要もないな」
「僕はもう二度と……!」
「おまえには私の望みを妨げることはできない」
それは冷酷な宣言であり、背くことの許されない命令だった。
「氷河には言わぬ方がいいぞ。おまえのために忠告しておく」
そして、忠告を装った脅しだった。
彼は低い笑い声を残し――そして、全く氷河の振りをして、瞬の部屋を出ていった。

瞬はすぐに彼のあとを追いかけようとしたのである。
ベッドを降りてから、夜着すら身に着けていない自分に気付く。
身体のあちこちに残る昨夜の行為の跡に打ちのめされながら、それでも瞬はなんとか衣服をまとった。
心は急くのに、身体が心に逆らう。
あるいは、急いているのは身体で、恐れをなしているのは心の方だったかもしれないが、氷河ではない氷河が仲間たちに害を加えるのではないかという懸念に追い立てられて、瞬は彼のあとを追ったのだった。

階下のダイニングルームに、彼はいた。
否、そこにいたのは“彼”ではなく、氷河だった。
声も姿も眼差しも小宇宙ですら、氷河そのものに戻った氷河――。
彼は平生と異なる瞬の様子を訝り、
「どうしたんだ、変な顔をして。少しくらい寝坊しても、おまえの朝食は逃げていったりしないぞ」
と軽口をさえ叩いてきた。
いつもの通りに優しい、だが、その奥に熱っぽさを秘めた あの眼差しを瞬に向けて。

「あ……」
氷河が昨夜のことを知ったらどう思うのか――。
“彼”の忠告を思い起こすまでもなく――瞬は氷河の前で沈黙することしかできなかったのである。





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