[ II ]






氷河でない氷河と夜を重ねるほどに、瞬は 日中 氷河を避けるようになっていった。
夜には氷河でない氷河に――どうせ氷河ではないのだから――甘え、すがり、彼の嘲笑に自虐的に身を浸すことで快感を覚えることさえできるのに――だからこそ――、本物の氷河の青い瞳にさらされることが、瞬は恐ろしくてならなかった。
夜の氷河は、瞬を蔑み貶めながら、瞬の欲しいものを瞬が望む通りに与えてくれる。
だが、それは、本来の氷河なら決してしないことである。
本当の氷河が決してしないことに歓喜している自分自身を、瞬は、何があっても氷河には知られたくなかった。


「瞬、最近、おかしいぞ、おまえ」
「僕に触るなっ!」
いくら氷河が“彼”ほどに“瞬”を見詰めていてくれなくても、瞬が以前の瞬でなくなったことは、氷河にもわかったのだろう。
ある日 心配そうに瞬の肩に手を伸ばしてきた氷河の手を、瞬は、瞬自身が驚くほどの激しさで振り払ってしまった。

「瞬……」
氷河が、仲間の思いがけない拒絶に 瞳を見開く。
その瞳の中に自分の姿があることが、瞬は恐かった。
「何か気に障ったか? 悪かった」
瞬が仲間から目を逸らしたことで、氷河は、瞬の拒絶を ただの反射や一時的なものではないと判断したのだろう。
彼は、そのまま瞬の前から立ち去ろうとした。
なぜそう・・なのか。なぜ氷河はそう・・してしまうのか――。
すべては自分がそうなるように仕向けたことだというのに、それはわかっていたのに、瞬は突然激しい焦燥と寂寥に襲われ、彼を引き止めていた。
「行かないで!」
「瞬……」

どう考えても尋常でない瞬の言動に困惑したように、氷河が再度、その瞳で瞬を見詰めてくる。
「どうしたんだ、本当に」
「……」
問われたことに正直に答えた時、氷河のこの瞳はどんな色に変わるのだろう。
そう思うと瞬は、彼に事実を告げることはできなかった。
黙り込み 唇を噛みしめて俯いてしまった瞬の頭上で、氷河がひとつ溜め息を洩らす。
「おまえが心配なんだ。最近のおまえはおかしい」
氷河のその溜め息は、氷河でない氷河の嘲笑よりも 瞬の心を傷付けた。

「なぜ氷河が僕のことなんか心配するの」
「なぜと言われて……俺はおまえの仲間だろう」
「それだけ?」
自身の声を、瞬は、ひどく挑戦的だと思った。
そして、まるですがるような声だ、とも。
氷河が短い沈黙を作り、やがて、その言葉を口にする。
それが、まるで何かを諦めて嫌々ながら仕方なく告げた言葉――のように、瞬には聞こえた。
「俺がおまえを心配するのは、俺がおまえが好きだからだ。意味がわからない――とは言うなよ」

「好き?」
瞬は、その言葉に驚くことはしなかった。
それはもうずっと以前から氷河の眼差しが語っていたことで、瞬は彼がいつその言葉を口にしてくれるのかと、待ち続けていたのだ。
闇だけでできた、あの夜の時まで。
だが、今となっては、その言葉は既に遅すぎた言葉だった。

「どうして今頃になって、そんなことを言うの。遅すぎる――遅すぎた……」
勝手なことを言っていると、自分でも思った。
だが、瞬は言わずにはいられなかったのである。
言ってしまった途端に瞳から涙があふれ、瞬はそれを氷河に見られないようにするために、彼の前から逃げ出した。





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