「おい、生きてるか」

瞬に声をかけてきたは、コロナの聖闘士の内の一人だった。
太陽神殿で、瞬たちを迎え撃った、龍骨座の聖闘士。
彼は、感情のかけらもたたえていない瞬の瞳が、朝の光を反射していることを確かめると、小さく頷いて、手にしていた水差しを寝台のサイドテーブルの上に置いた。
それは、瞬のために運んできたもののようだった。

「よかったな。アベル様は大変ご満足されたご様子だ」
身体を動かすこともままならない瞬にそう告げたのは髪の毛座の聖闘士で、彼はどうやら瞬の着替えらしきものをその手に持っていた。

(満足?)

「あ?」

昨日までは敵だった者たちだが、彼等は、少なくとも今は瞬に害意は抱いていない。
抱いていたとしても、今の瞬には、彼等をどうすることもできなかっただろうが。

「満足って何……」
何を考えることもできず、瞬はただ、ベレニケの発した言葉を反復して、虚空に向かって尋ねた。

「おまえの身体が、えらく気が利いてたってこと」
唯一手ぶらの山猫座のジャオウが、寝台に横になったままの瞬の顔を覗き込む。
自分の頬に涙の跡が残っていることに、瞬はその時、初めて気付いた。


「泣き声もいい。俺までおかしくなりかけた」

「アトラス。滅多なことを言うな。これは――この方は、アベル様のものだぞ」
「いつか、我等に払い下げてくださることがあるかもしれないじゃないか。そんなことを言うのなら、ベレニケ、おまえ、その時には遠慮しろよ」
「そういうことを言っているのではない!」

声をあげて、同僚を嘲笑すると、アトラスは、ほぼ自失している哀れな犠牲者に、慇懃に頭を下げてみせた。

「これからは我等をどのようにでもお使いください。あなたがアベル様のお気に召している限り、我等はあなた様のしもべです」
言葉自体は丁寧だが、その響き挑戦的で、しかも、その半ば以上が皮肉でできていた。


「アベル様が満足されたのは本当です。『次からは、もう少し優しくしてやろう』とまでおっしゃっておいででした」
ベレニケの口調には、アトラスのそれのような皮肉の色は混じっていなかった。
むしろ、同情の色の方が濃い。



だが、瞬は、今は、そんなことはどうでもよかった。

瞬は、ただ、疲れていた。
目を閉じて眠りたかった。


何も――誰のことも――考えたくなかった。








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