第三章 後悔




アベルは苛立っていた。

アテナなら、思い通りにならなくても、まだ致し方ないと思うことができる。
人の心に毒されてしまったとはいえ、彼女は神なのだ。


だが、瞬は、ただの人間である。
聖闘士の聖衣を得るための修行に耐えたという事柄を除けば、ごく普通の、極めて平凡な、ただの人間。
無知と未経験の故に、高い理想を掲げすぎた非力な子供のはずだった。

ただの“物”として扱われ、絶対的に自分より優位にある者の力を思い知れば、その理想はすぐに崩れ去り、抱いていた価値観を根本から変えてしまうはずだったのだ。


アベルに従う3人の聖闘士たちがそうだった。
彼等は、人よりほんの少し鍛錬を積んだ、ごく普通の人間に過ぎなかった。
それが、太陽神に聖衣を与えられ、太陽神の加護を得て、彼等は少しずつ傲慢になっていった。
太陽神の力を笠に着て、多くの者たちを自らの足元にひれ伏させることで、自分に与えられた力の強大さに酔い、他の人間たちを見下すようになった。

アベルが彼等を側に置くのは、彼等が傲慢ではあっても、愚かではないからだった。
彼等は、自分たちの力が誰に与えられたものなのかを明確に自覚している。
自分たちの力が太陽神の権威と威光に因るもので、自分たちが他の人間より高位にあるためには、それらを守らなければならないこと、そして、それらを失わないために太陽神の機嫌を損ねてはいけないことを、彼等は知っているのだ。


小宇宙を用いての闘いでは歯がたたなかった彼等が、今は瞬のちょっとした雑用すら、文句も言わずに片付けてみせる。
瞬が太陽神の愛を受けている──ただそれだけのことで。

神の力を思い知らされ、その上で、彼等にかしずかれることに慣れた瞬は、徐々に傲慢になっていくはずだった。
そして、与えられた境遇を失わないために、太陽神に媚びるようになるはずだった。



しかし、瞬は日毎に生気を失い、憔悴していくばかりである。
その心は仲間たちへの追慕で占められていて、その中の一つの影が、アベルの気に障った。


世界を滅ぼそうとさえしていた自分が、小さな人間の心ひとつを思い通りにできない。
アベルは、自らの苛立ちを抑えようがなかった。



以前は──神が人間たちを支配していた頃には、人間たちは神を畏怖していた。
大した力を持たない神でも、神だというだけで、人間たちは、どんな理不尽な命令にも諾々と従い、逆らう者はいなかった。

まして、ゼウスにも匹敵する力を持つ太陽神。
人間たちはすぐに、しかも、心の底から服従した。

人の心も容易に操れた。
太陽神に望まれたというだけで狂喜して、恋人を捨て、その身を任せてきた人間の女もいた。
人間だけでなく、女神たちの中にも、そんな者は掃いて捨てるほどいた。


だというのに――。








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