「で? 彼が呼んでいるという陛下の嘘に騙されて飛んできたんですか、公爵は」


入室の断りを得ずに、ハーデスは、公になっていない王の寝室の扉を開けた。

わざと採光の機能を減らしてあるために日中でも薄暗い寝室は、人工の照明具で作られた不健康な明るさに満ちている。
不必要なほどに華美な装飾、所狭しと並べられた調度の数々、天蓋の上に上げられた銀色の幕や壁のタペストリーには金糸で王の名を象った意匠の刺繍が施され、その懲りようもまた、どこか病的だった。


長い上着をまとって、寝台の横の肘掛け椅子にだらしなく腰を下ろしていた王は、ハーデスの問いかけに、機嫌の良さそうな、そして野卑な笑いを唇に浮かべた。

ハーデスが王の視線の先を辿る。


細く白い腕をした子供がひとり、王の寝台の上に死んだように倒れていた。

頬に乾ききっていない涙の跡があり、唇の端が切れている。
余程必死に抵抗したものらしい。

一瞬痛ましそうに眉をひそめ、ハーデスは重ねて王に尋ねた。

「生きているんですか」
「死なれては私が困る」

それが手に入れるのにどれほどてこずったものであろうと、あるいは王妃であろうと、一度我が物にしたらそのまま打ち捨てておくことの多い王が、そんなことを言うとは、よほど瞬が気に入ったものらしい。

瞬の何がそれほど王の心を捉えたのかといえば、王の嗜虐をそそる頼りなげな貌と清らかな肢体、無垢な心と誇り高さなのだろうが、瞬はそれらに反して王の劣情を喚起する機能を身体のどこかに隠していたに違いなかった。


「まだ、ほんの子供なのに。何をしたんです」

「本当に子供のままだったから大人にしてやった。一種の親切だな」
王が下卑た仕草で、自分の爪を指し示しす。

嫌悪の表情を隠そうとしないハーデスを、王は皮肉な目で見やった。
「協力したそなたも同罪だぞ。そなたのライバルを打ちのめしてやったのだ、文句はあるまい」

王の言葉を、ハーデスは無視した。
「公爵を……このままここに置くのはまずいのではないですか。公爵の騎士殿は仕事柄、こんな隠し部屋くらいすぐに見付けるでしょう」

「この様を、あの男に見せてやる方が面白い」
「彼は、一瞬もためらわずに陛下を殺すことでしょう」
「…………」

ハーデスの言葉で、王は、公爵の下僕にとって“身分”がどういうものであるのかを思い出したらしい。
それは、彼の公爵だけが身に備えているものなのだ。

「……そうだな。そなたに預けるか。傷が癒えたらもう一度連れて来い。そなた、少し仕込んでやれ。泣き叫ぶ子供を捻じ伏せるのも楽しかったが、喘ぎ悶えるこの子も見てみたい」

王の言葉を肩で受けとめて、ハーデスは、サテンのヴェールで瞬の裸体をくるみ、両手で抱き上げた。
その軽さに、胸を突かれるような驚きを覚える。

「公爵。公爵殿」

目は開いていた。
が、その緑色の瞳には何の輝きもなく、ハーデスの声が聞こえてるのかどうかも怪しいものだった。

力無く投げ出された手足も、子供らしい細い首も、ただ痛々しいばかりである。
――痛々しいばかりのはずなのに、ハーデスはなぜかその風情に、ぞくりとするほど壮絶な蠱惑を覚えた。
恋も知らない子供にしては艶めきすぎている。


「……瞬様」

まさかと思いつつ、ふと思いついて、その耳元に、彼の下僕と同じように瞬の名を呼びかけてみたが、瞬は無反応だった。

声が違うのだから当然ではある。
だが、その呼び方から誰かを思い出すことすらできないでいる様が、瞬の受けた衝撃の大きさを物語っていた。

「なまじ綺麗に生まれたのが不運だったな、公爵」

ハーデスは、瞬を抱きかかえたまま、王の寝台の幕の後ろから、王宮の幾つかの部屋に通じる秘密の通路に身を投じた。

その先の一つに、ハーデスの居室がある。
他の部屋に誰がいるのかに、彼は興味を抱いたことはなかった。



「ひょ…が……」

瞬が、その時になってやっと──おそらくは、氷河を真似たハーデスの呼びかけに反応する。


ハーデスは、聞こえなかった振りをした。
瞬の受けた傷の本当の意味を知って、彼は無言で顔を強張らせた。






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