「瞬様は……今どちらに──」

気に入らない男ではあるが、この場では唯一の情報源である。
氷河は彼から僅かでも瞬に関する情報を探り出そうとして、その様子がおかしいことに気付き、眉をひそめた。

「……酔っているのか、貴様」
「そりゃあ、酔いたくもなるさ。なにしろ、惚れた相手が、毎日他の男の下で泣きよがってるんだから」

ハーデスの足元が妙にふらついている。
完全に酔っ払いのそれだった。

「酒に飲まれるようなガキが粋がって飲むな」
「は。後先考えず、絶対権力者に切りかかるような馬鹿にそんなことを言われたくはないな。それに、俺が飲んでるのは酒じゃなく薬だ。ほんの少し気分が高揚するだけの抗欝剤」

どっちもどっちだと言おうとして、氷河はそうするのをやめた。
素面で愚行に及んだ自分がいちばん馬鹿だというハーデスの見解に反駁することこそ、愚かである。
それは紛れもない事実だった。


そんなことよりも。
「──瞬様は」

王に最も近いところにいるこの男なら、今瞬が何をしているのかを知っているに違いない。
部屋の扉に寄りかかるようにして立っているハーデスの前に、氷河は歩み寄った。

氷河より少しばかり背の低い黒髪の男は、上目遣いに、一瞬ひどく憎々しげに氷河を睨みつけた。
が、すぐに、憎悪の感情を抱くことさえ馬鹿馬鹿しいといわんばかりに、肩から力を抜く。

憎悪の代わりに、彼は、唇に蔑みの色を浮かべた。
「平和だな、あんたは。瞬様、瞬様、瞬様! それだけ、お題目のように唱えていればいいんだから」

それだけで愛される男が存在するという理不尽にハーデスが苛立っていることなど、氷河には察しようもなかった。
仕事柄、それなりの洞察力は備えているつもりだったが、氷河はいまだにハーデスの行動に一貫性というものを見い出せずにいた。

彼の行動様式は、氷河の人間の分類項の中の“目的なく生きている男”の典型だった。
少なくとも傍観して判断する分には、それ以外の何ものでもなかった。

だが、目的なく生きている男は、悩み事から逃げるために足掻くこともしない。
そもそも無目的な人間は、何事かに悩んだり傷付いたりすることもない。

ハーデスには、氷河の知らない“何か”があるのだろう。


そのハーデスが、薬の効力が切れてきたのか、少しばかり真顔に戻って、氷河に命じる。
「いいものを見せてやるから、ついて来い」


囚人を拘束もせずに外に連れ出そうとするハーデスに、氷河はさすがに面食らった。

牢獄の出入り口に立っていた歩哨も、これには少々慌てていたが、ハーデスはそんな兵卒の抗議など歯牙にもかけなかった。
「王は怒らぬから、見て見ぬ振りをしていろ!」

それから、おそらくは、氷河に逃亡を企てさせないために、言葉を重ねる。
「こいつは逃げ出せないさ。公爵の身を案じるのなら」


ハーデスの言葉は、牢獄などよりはるかに強固な枷鎖だった。






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