王位継承の──今回に限っては、立太子の──誓約の際に使われる杯の前に、氷河は立っていた。
本来なら宝物殿の奥に鎮座ましましているはずの即位誓約の杯は、今は、ひんやりとした地下の酒倉の隅の棚に、ほとんど放置されていた。

王冠、杓杖、誓杯。
王位とその継承に重要な意味を持つはずの宝器は、今、この国では、儀式のためのただの道具に過ぎない。
この国を治めているのは王冠でも杓杖でもなく、軍隊を有効に動かせる能力と臣民を畏れさせることのできる不安にも似た力だった。

形骸化した道具に、神聖さはない。
明日の出番を控えた杯が、こんなところに無造作に置かれているのも無理からぬことだった。



「武器を持って王に近付くことはできないからな」

杯を凝視している氷河の背中に声をかけてきた者がいた。
地下に下りる酒倉の戸口に立っていたのは、言わずと知れた瞬のライバルだった。
午後からの剣術の判定の前の空き時間に、暇を持て余している風情に見えた。

氷河が最も心配していた剣術の試技は、候補者たちが勝敗を競うものから、型通りの技をいかに美しく披露してみせるかという見世物に変わっていた。

『私が、私より頭二つ分も小さい公爵殿と戦って勝ったとしても、不名誉にしかならない』
と主張したのはハーデスだったが、実際その通りだったろう。

考えようによっては、この選定の儀式は、年少の瞬よりもハーデスの方に不利だった。
瞬より5歳年上のハーデスは、周囲の者たちに、自分が瞬よりも格段に優れているところを見せつけないことには、点を稼げないのだ。
瞬と同程度、もしくは少々のポイント差での優位はハーデスの負けも同然だった。

無論、年長であることは、別の次元ではハーデスに優越をもたらすものでもある。
たとえば明日、王が死ぬようなことがあった時、誰も13歳の瞬を王位に就けようなどとは考えまい。






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