数日間・多岐に渡る分野の考査と論議を全て終え、公爵邸に戻ってきて初めて、瞬は心底から息をつけたようだった。 明日には、王の後継者の名が提示されることになる。 それによって、公爵家の行く末が決まるというのに、瞬はまるで結果を気にしている様子はなく、氷河は氷河で、いつ真実を瞬に告げるべきか、あるいは本当に瞬にそれを告げてしまっていいものなのかと、迷い続けていた。 「大変、ご立派でした」 氷河は、ためらいを覚えつつ、瞬にねぎらいの言葉をかけた。 その氷河の機先を制するように、瞬が、思いがけない言葉を口にする。 「氷河……僕ね……」 「はい?」 「僕、王子様にならなくてもいいような気がしてきたんだ」 それは、氷河には思いもよらない言葉だった。 瞬が、王にどれほど冷遇され続けても公爵家を放棄せず、その存続を願ってきた理由。 瞬に、王位継承者選定に挑む決意を促したもの。 それは、亡くなった前公爵の遺志を継ぐという目的だったはずである。 王位継承権を手に入れることは、その実現のための最も有効で、しかも最も確実な手段だった。 それを『ならなくてもいい』――とは。 「何をおっしゃるのです。瞬様には、その資質と能力があります」 氷河は、この数日間に瞬が自信を喪失するような出来事があっただろうかと、自分の記憶の森の中を辿り始めた。 が、瞬がそんなことを言い出したのは、自信を失ったり、投げやりになったりしたためではないらしかった。 「氷河、今日の兵法の論議を聞いていた?」 「はい」 それは、なかなかに興味深い論議だった。 それまで、芸術や歴史・哲学の解釈では、瞬とハーデスはひどく対照的な意見を述べ続けていた。 瞬の考えが往々にして繊細で肯定的なら、ハーデスは玄人好みでシニカルだった。 学者や有識者たちが、ふたりの対照性を興味深く感じているのは、氷河にも見てとれていた。 そのふたりの意見が、兵法の論議では異様なほどに──というより、完全に一致していたのである。 敵軍の布陣の具体例をあげ、軍の司令官として兵たちにどういう指示を与えるのかを、兵法家たちは尋ねてきた。 瞬が自身の対策を告げ、次に問われたハーデスは同じ策を採ると言った。 ハーデスが先に答えた場合、その答えは瞬が答えようとしていたものと全く同じで──それは、つまり、兵の疲弊を最小限に抑え、戦闘回避に向けた策だった。 瞬も、そして、氷河も、ハーデスはもっと好戦的な対処を提案してくるものと考えていたのだが。 「僕は、この国を侵略という手段を採らなくても豊かでいられる国にしたかった。ハーデスは――彼が王になったら、多分、僕がしようとしていることと同じことをするような気がする。僕が王子様にならなくても、この国は、僕が思い描いている方向に動き出すような気がするの」 「それは……しかし、それは、瞬様が行なっても良いことではありませんか」 氷河の反駁に、瞬は小さく左右に首を振った。 「もし、そうならね、ハーデスが僕のしたかったことをしてくれるのならね、僕は別に国政に携わろうなんて思わない」 「瞬様……?」 「お父様の遺志は──僕じゃなくても、誰か継いでくれる人がいるのなら、それでいい。それが実現するのなら、そうするのが僕じゃなくたって、お父様は喜ぶと思う」 「しかし……」 それは、瞬にとって、“いちばん大切なもの”だったはずである。 その目的があるからこそ、瞬はこれまで生きてこれたのだと換言してもいいほどに。 氷河の驚く様を見て困ったように首をかしげ、瞬は言葉を重ねた。 「……僕はずっと思っていたの。お父様の遺志が叶うのなら、公爵家の存続なんてどうでもいいって。そうしたら、僕は氷河と一緒に行きたいって」 「…………」 「氷河がお仕事でよその国に行くたび、国のことさえなかったら、お父様のことさえなかったら、一緒に行きたいって、いつも思ってたの。僕は、僕がこの国とこの家を離れられないから、王子様になって、氷河を僕の側にいられるようにしたいって思っただけで、僕が自由に動けるのなら、僕は――」 瞬の“いちばん大切なもの”は、もしかしたら、もうずっと以前から変わってしまっていたのかもしれない。 「僕は、氷河と一緒に行きたいの」 |