二度目の訪問時にも、氷河の親は顔を見せなかった。 氷河は自分で瞬を邸内に招き入れ、自分で瞬を彼の勉強部屋に連れて行った。 訊くと、寝室や“彼の”居間は、他にあるということだった。 「お茶やおやつ、要る? 厨房にいくらでもあると思うけど。うち、自分で取りに行かなきゃならないんだ。常勤の使用人、置いてないから」 親が多忙で子供が一人で家にいる時間が長いのなら、しかも、家計に余裕があるのなら、子供の世話のために人を雇うのが普通なのではないかと、瞬は思った。 瞬の疑念を見透かしたように、氷河が言う。 「親父は、人より機械の方が有能で面倒がないって思ってるんだよ。俺も同感だな」 そういうものなのだろうか。 瞬は、父親ではなく母親になら別の考えもあるのではないかと思ったのだが、なぜかその件について氷河に尋ねることを躊躇した。 たとえ勤めに出ているのだとしても、小学生くらいの年齢の子供にとって最も近しい他者は母親であるはずである。 その母親が、氷河の話の端にも出てこない。 瞬には、この家には、彼の母親について気軽に言及してはならない事情があるように思われた。 「俺、自分で言うのも何だけど、勉強はできるんだ。でも、苦手なのがあってさ、道徳ってやつ? 俺が何か発言するたび、センセーがやーな顔するんだよな。連絡簿には『クラスメイトとの協調性に欠け、社会生活に不適合と思える部分がある』なんて書かれるしさ」 自分の苦手科目の説明を済ませると、瞬が注意深く回避しようとした話題に、氷河は実に気軽に言及してくれた。 「ウチ、母親は俺が赤んぼの頃に死んじまったし、親父は仕事三昧でろくに息子の相手してくれないだろ。つまり、俺って、すごくカワイソーな子供なわけ。見てくれも、他のガキ共とは違うしな。まー、それにしちゃ、まっとうに育った方だと、自分では思ってるんだけど」 それが強がりなのか、それとも気負いのない本音なのかは、瞬にはわからなかった。 瞬にわかったのはただ、そのいずれだったにしても、彼が瞬に同情を求めていないということだけだった。 彼は、プライドというものを持っているのだ。 瞬は、彼のプライドに敬意を払い、なるべく同情や憐憫の色を表に出さないようにして、彼の相手をしていこうと心に決めた。 「じゃあ始めようか。学校で使ってる教科書見せてくれる?」 瞬に言われると、氷河は、机の脇に置いてあった鞄から取り出した道徳の教科書を、放り投げるようにして机の上に置いた。 彼が小学校6年生だというのは、やはり事実らしい。 確かに、それは、6年生用の教科書だった。 到底小学生の勉強机とは思えない堅牢なイングリッシュ・オークの机で、氷河のはす向かいに用意されていた椅子に腰をおろし、瞬は、その教科書を斜め読みした。 家族の情愛やボランティア精神を題材にした小品が並んでいる。 国語の教科書とさして変わりがないように思われた。 自分が小学生だった時には考えたこともなかったが、もしかしたら、“道徳”という“教科”は、人道的な建前を表現する術を学ぶためのものなのかもしれない――と思えてくる。 氷河のような“子供”には、それが馬鹿げたことに感じられるのかもしれない。 ――と、瞬が考え始めた時。 |