「瞬」
ふいに、氷河が瞬の名を呼んだ。

「え?」
瞬が、なぜか違和感を覚えながら、教科書に落としていた視線をあげる。
その視線の先には、氷河の青い大きな瞳があった。

「なに驚いた顔してるんだ? 自分の名前呼ばれただけだろ」
「あ……」
確かに、それは、違和感を覚えるようなことではない。
瞬は勝手に、自分が氷河に『先生』と呼ばれるものと思い込んでいただけだった。

「何ですか、氷河くん」
「氷河って呼べ。じゃないと返事しない」

そう宣言するなり、唇を引き結んでしまった氷河に、瞬は小さく吐息して、言い直した。
「なぁに、氷河」

少しくだけた瞬の口調に、氷河が満足そうに頷く。
それから彼は、何かを含んだような笑みを口許に刻んで、『先生』に質問してきた。
「キスってどうすんの?」
「え?」
「キスの仕方、教えてよ」
「ひょ……氷河くんには、そんなこと、覚えるのはまだ早いでしょ」
「氷河だ。幾つになったらいいんだ?」
「幾つ……って……」

そんなことを、瞬が知るはずもない。
返事に窮した瞬に、すかさず氷河が突っ込んでくる。
「瞬、キスしたことないのか?」
「…………」

図星――だった。
意図せず、瞬の頬に朱の色が散る。

この小生意気な生徒が、そんなことで自分の家庭教師の経験値を計るというのなら、この先自分はこの子供に馬鹿にされ続けることになるのかもしれない。
そう思うと、瞬は早くもこのアルバイトを続けていく自信を失いかけ、そして、少しばかり憂鬱になった。

が、氷河は、どうやらそんなことで瞬を軽んじるつもりはないようだった。
彼は、瞬が自分の質問に答えないことを、むしろ喜んだ――らしい。
氷河は、その青い瞳を嬉しそうに輝かせた。

そして――。






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