申し出を受け入れた瞬の前に、悪魔は小さな犬を出現させた。
「……小犬?」

訝る瞬に、彼は蔑むように薄い笑みを投げた。

「それが、おまえの氷河だ。何でも、おまえの意のままになる。昼の間だけは」
「夜は?」
「夜は、おまえが、この男の言いなりになるのさ」
「…………」

そう言ってのける“もの”は、この孤独な土地に住む悪魔に違いなかった。
そんな悪魔と契約を交わすことに、瞬は、不安を覚えた。
それは、今更ながらの、だが、後悔を伴わない不安だった。

「……まあ、恐がることはない。この男の望んでることなんて、実に原始的で可愛いことだからな。これは、おまえと私の契約ではなく、おまえとあの男の契約だ。そして、おまえの得るものの方が大きい」

悪魔は、唇の上の薄い微笑を消し去ろうとしない。
瞬は、その微笑に、どうしても拭い去れない不安を感じながら、悪魔が招き入れた小犬を見やった。

「……氷河?」

瞬の足許で、新しい飼い主を見上げる小犬は、悪意も邪気も――そして、迷いも悲しみも苦しみも知らない、無垢そのものに見えた。

これは悪魔の冗談だと、あるいは、ただの夢だと思いながら、瞬は小犬を抱きあげた。
小犬の瞳は、極北の短い夏空のように真っ青だった。
氷河のそれと同じように。

「明日、一緒に帰ろ」

ひとしきり愛くるしい小犬を眺め、撫でてから、瞬が顔をあげると、悪魔は、既に、その場にはいなかった。

だが、そんなことは、瞬にはもうどうでもいいことだった。
瞬は、氷河の“代わり”を手に入れたのだ。

「ふふ。可愛い」

瞬は、ひとり微笑して、小犬のやわらかい毛並みに頬を押し当てた。






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