瞬は、小犬を抱きしめていなかった。 今の瞬には、もうわかっていた。 本当の幸福は、完璧な幸福の中にはないのだということが。 「――僕は、氷河をいつも見ていたかったんだ。離れたところにいる氷河を心配してるだけの自分が嫌だった。でも、そんなふうに思うのって、ただの我儘でしょ? だから、言えなかった。そんなこと言って氷河に嫌われるのは、もっと嫌だったから」 「…………」 瞼を伏せ、細く小さく低い声で告げる瞬のために、どういう表情を作ってやるべきなのかがわからずに、星矢はただ微かに顔を歪ませた。 「氷河は──氷河もそうだったのかな。自分のしたいことをすれば、僕が氷河を嫌いになるって思ってたのかもしれない」 「…………」 「恐くて……言えなかったんだ」 「恐くて……って、ただそれだけのことで?」 掠れた声で、星矢が尋ねる。 星矢には、それだけのことなのだろう。 氷河と瞬の小心が、星矢には理解できないものなのに違いなかった。 だが、それだけのことが、瞬には、言葉にするにも多大な勇気のいる大事だったのである。 『どこにも行かずに、ずっと、いつも、僕の側にいて』 と告げるだけのことが。 そして、ただそれだけのことが、あの白い悪魔を生み出したのだ。 「うん。それだけのことだった……」 溜め息のように呟き、瞬は唇を噛みしめた。 それから、瞬は、自分の足許に大人しく座っている“氷河”を見詰めた。 星矢に必要なのは結果だけで、経緯ではないことがわかっていたので、瞬は、とんでもない場面に遭遇してしまった仲間に、あまり詳しくは事情を語らなかった。 星矢が欲する結論だけを、口にする。 「氷河は、僕が連れ戻してくるから」 「瞬……」 「変なとこ見せて、ごめんね、星矢」 瞬に謝罪されてやっと、星矢は意識せずに表情を作る術を思い出した。 思い出して、星矢は、盛大に赤面した。 |