1610年、氷河はイエズス会の宣教師として、ローマから、伴天連追放令が形骸化していた日本に派遣された。
そして、九州のキリシタン大名、有馬氏の庇護を受けた。
有馬家の当主・有馬晴信には公にできない庶出の息子が一人いて、それが、氷河のキアラ。
キアラという洗礼名は、氷河が授けたのたという。

氷河が日本に来た時、キアラはまだ14歳の少年で――そして、僕に似ていたらしい。
氷河の言葉を借りるなら、『出自のせいで控えめだったが、凛として清らかで熱心な信徒』だったそうだ。
可憐で、あまりに美しくて、氷河は、彼に思わず女性の洗礼名をつけてしまったんだって。

「キアラなどという名を授けるべきじゃなかった」
そのことを、氷河は後悔しているようだったけど。

「俺の洗礼名はフランチェスコで、キアラは、俺が日本に来て最初に洗礼をした信徒だったから、俺は、深く考えもせずにその名を与えてしまったんだ。聖フランチェスコの最初の女性の弟子の名を」
「フランチェスコ? 氷河はイエズス会士だったんでしょ?」
僕は、どうして、そんなどうでもいいことを訊いたりしてるんだ。
もっと重要なことは、他にいくらでもあるのに。

でも、確か、当時の日本では、イエズス会とフランチェスコ会が、争うようにして布教活動を繰り広げていたはずだ。
「フランチェスコ会では、かえってフランチェスコの洗礼名はつけにくいものらしい」
僕の指摘に、氷河は苦笑してみせた。
そして、感情の伴わない形だけの笑みを、氷河はすぐに消してしまった。

「聖フランチェスコは、彼の愛弟子のキアラを、ある時期から意図的に遠ざけている。理由は──まあ、色々あったんだろうが、聖女に恋をしかけている自分に気付いたからだと、俺は思っている。俺が──そうだったから」

氷河のキアラは清純で優しくて健気で──氷河はそんな形容詞しか知らないんだろうか?──、日本の生活に不慣れな若い宣教師にかしずき、行き届いた世話をしてくれたらしい。


氷河が来日して2年後、岡本大八事件が起こり、キアラの父は配流になった甲斐の地で自刃する。
やがて、世の中はキリシタン弾圧に傾き出し、日本にやってきていた宣教師たちは、一部の熱心な者たちを除いて、日本から去り始めた。

でも、氷河は日本に残った。
彼のキアラが──そこにいたから。





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