僕は、愛されることに慣れていた。 父さんも亡くなった母さんも、僕を愛してくれていた。 友人にも恵まれていたと思う。 僕が愛する前に、僕の周囲の人たちは、僕を愛してくれるのが常だった。 少なくとも氷河に出会うまで、僕は、誰かに愛されない苦しみを苦しんだことはなかった。 だから──愛されないことに慣れていない僕に、氷河の心を得られないことで受けるダメージはとても大きかった。 どんなに強がってみても、人の心の強さと忍耐には限界ってものがある。 僕が心弱くなりかけた頃、まるでそれを見計らったみたいに、キアラが再び僕の前に現れた。 『もう十分だと思うでしょう? 氷河はもう、この希望のない時間の流れから解放されていいと思うでしょう?』 聖女の名を戴いた少年は、まるで僕に同情を求めるように、そう言った。 キアラの姿は僕にそっくりなのに、彼は僕とは全然違う。 穢れが、心の深いところまでが浸透しつつある僕と違って、キアラはいかにも清浄そうな表情と眼差しとを持っている。 それが、僕の中に反発心を産んだ。 キアラは、僕には何もできないって言いたいわけ? 僕には、氷河を救ってやることはできないけど、キアラになら、それができるというわけ? 僕の身体を使って、キアラは 僕の身体を使って、聖女様が、いったい氷河と何をするつもりなんだか! わかってる。 氷河が求めているのはキアラだ。 僕じゃない。 だから、僕にはできなくても、氷河がキアラと結ばれれば、確かに氷河はこの終わりのない時間の流れの外に逃れることができるのかもしれない。 それが氷河のためだっていうのなら、僕だって我慢できる。 でも、氷河とキアラのためにそんなことをするのは、絶対に嫌だ。 氷河を失うために、なぜ僕がそんな犠牲を払わなきゃならないの! 「どうして、僕が僕の身体を君に渡さなきゃならないんだ! これまでずっと氷河を放っておいたくせに、どうして今更……!」 そんなことをしたら、氷河は僕のものでなくなる。 キアラのものになるだけならまだしも、氷河の存在自体が消えてしまうかもしれない。 それだけは、絶対に嫌だ。 僕には耐えられない。 『僕の呼びかけに、今まで誰も気付いてくれなかったの。氷河は、まるで神に挑むように、神の被造物である自分を汚そうとするように、いろんな人を抱いたけど、その中の誰も、僕の声に気付いてはくれなかった。それに──』 「それに?」 『自分の身体として受け入れて、氷河に抱かれてもいいと思えるほどの人間に、僕は、これまで巡り会わなかったから』 何を、キアラは言っているんだろう。 キアラは、僕の身体を使ってなら、 僕は、キアラのお眼鏡に適ったことを光栄に思うべきだとでもいうのか? 「じゃあ、君は、これまでずっと選り好みしてたわけ? それで400年も氷河を苦しませ続けてきたわけ?」 『僕の声に気付いてくれたのは、君が初めてだよ。僕の魂と君の魂は、とても近いみたい』 そりゃあ、そうだろうさ。 ふたりとも、同じ人を愛してるんだから。 『氷河が本当に求めていることは、僕を抱くことなんかじゃない。氷河は未練なんかのせいで生き続けてきたわけじゃないの。氷河は、僕なんかよりずっと清らかで──氷河が本当に求めているのは、神の許しなの』 「そんなの、君にだって与えられないでしょ! それに、もう遅いよ! 今は、氷河は僕のものなんだから!」 それは嘘だ。 氷河は僕のものなんかじゃない。 キアラだって、それは知っているだろう。 でも、僕はそう叫ばずにいられなかった。 そう叫ぶことさえできなかったら、あまりに僕がみじめすぎる。 『僕は、氷河に──僕が氷河を愛していたことを告げたいの。氷河が自分を責める必要なんかなかったと、ただ、それを伝えたいだけなの』 「そんな綺麗事言って、騙そうったってそうはいかないよ! ほんとは、氷河を僕に取られたくないだけなんでしょ? 僕の身体を使って、氷河に抱かれるつもりなんでしょ? そんなの許さない!」 身体があるということだけが、僕がキアラに勝っている唯一のことなのに。 『ごめんなさい。でも、他にどうしようもないの。こんな氷河を、僕はもう見ていられない。ずっと長い間、待ち続けて待ち続けてやっと──これが、初めて巡ってきたチャンスなの……!』 「だからって……じゃあ、いったい僕はどうなるのっ !? 」 僕の悲鳴にも似た叫びを、キアラは悲しそうな目をして振り払った。 『僕は氷河を救いたいの──』 ──そうして。 僕は、キアラに僕の身体を奪われてしまったんだ。 今度は夢じゃなかった。 |